小林修三~湘南鎌倉総合病院副院長~

徳洲新聞2012年(平成24年)9/17 月曜日 NO.843

徳田理事長と山中先生の共通点は組織を動かし世界を動かす 感動の涙と成功の原点は地球規模の経験と苦労から生まれる

徳田虎雄理事長と山中伸弥先生との面談は、感動的な場面となりました。私は山中先生と何度かお会いするうち、徳洲会の世界での取り組みをお話ししました。山中先生から「医者になろうとしたきっかけは徳田先生でした」の一言から、一人でも多くの命を助けたいと願う医師としての立場は変わっても組織を動かし世界を動かす両リーダー面談の実現をお手伝いすることにしました。先生が整形外科医として臨床研修中、「じゃまなか、おまえはあっちへ行け」などと言われたそうです。ある日、目の前のリウマチ患者の治療にあたり何とか救いたいと願い研究の道に入ったと語られます。会談後、先生は私に「理事長の力強い生き方は……」とまた言葉を詰まらせました。同行した私も今思い出してみても目頭が熱くなる歴史的な会見でした。

辛い涙とともに多くの仲間が医療の成功を支えてくれている

私はかつて、防衛医大の腎臓内科でリーダーとして指導に励んでいました。トップの汚職事件で研究室は崩壊し診療すらまともにできない中、大学院生の学位論文や彼らの留学の世話に明け暮れていました。

山中先生とのご縁も、こうしたこれまでの医学研究を通したものでした。15年前、理事長とお会いして湘南鎌倉総合病院に入り、腎臓内科を一人で始めました。医療安全の基盤整備も行い、多くの家族のもとにお悔やみのため白い花束を持って訪れ、多くの辛い涙を見てきました。

当院への電子カルテ導入は壮絶な戦いで、作業が深夜に及ぶ中、一人の若い栄養士の命が轢逃げ犯によって奪われました。弔問に伺うと「うちの娘は立派なカルテを作ったのでしょうか」と問われ、私は絶句しました。かけがえのない大切な娘さんを亡くされたというのにその悲しみを訴えることもなく、私からの「間違いなく立派なものをお作りになられました」の返答に、ご両親は溢れんばかりの涙を浮かべ「ありがとうございました」と述べられました。

その後、崩壊した内科から総合内科を立ち上げ、オンコロジーセンターも設立して再生医療への舵取りも行いました。一方で専門を生かした透析指導は、ブルガリアのソフィア徳田病院やアフリカ諸国、離島・僻地(へきち)など20カ所以上に及びます。

しかし、専門家として一番やりたかったことは腎機能の廃絶を防ぐことです。腎機能改善外来は私たちが先駆的に神奈川県で始め、腎炎は治ると明確にいえる進歩を遂げました。そのレベルはいくつもの大学を超え、チーム医療を取り入れた腹膜透析もわが国最大規模の施設に達しています。沖永良部徳洲会病院の看護師・花田誠一郎君は、大男ですが心は優しく力持ちです。私の知っているすべてを託し、見事に吸収してくれました。ある日、脳卒中で倒れ長い間生死の間をさまよいました。意識が戻らない頃見舞いに行くと、私とのツーショットの写真がベッドの脇にありました。見た途端、私は涙をこらえきれませんでした。齢六十近くになって、「医師になって良かった」と感じるのは、多くの仲間が私とともに歩んでくれているからです。

人の生き様に対する敬意と愛情で病院を感動ある舞台にしよう

1990年、ネルソン・マンデラ氏が27年間の刑務所生活から釈放され、南アフリカでのアパルトヘイトに終わりを告げました。氏は「人を許すことは最強の武器となり恐れをも封じ込める。過去は過去である。くだらない復讐はどうでもいい」と呼びかけました。

モザンビークでのミッションは、同国初の透析医療でした。辛かったのは、2人目に助ける患者さんをどんなふうに選択したらいいかと問われた瞬間です。助けられる命を選択することの非情さ・辛さを味わいました。生命はまだまだ平等ではありません。南アフリカから、透析機器メーカーの白人2人が来ていましたが必ずしも協力的でなく、私は全体会議で声を荒げました。「あなた方は隣国から来ている。我々は遙か彼方日本から来た。できることをするのは医療人として当たり前だ。隣国の皆さんが積極的な協力をしないのは理解できない。だが、私たちが帰った後がある。声を荒げて申し訳ない。あなた方の今後の協力なくして成功はない」と話し、皆の前で2人と握手をして別れました。皆が許し合わなければ、進歩はありません。カメルーンでは透析後に隣の患者さんどうしが止血をする姿を見て、助け合う人間の原点を見ました。

進歩した日本の医療の問題点は、感性や責任感がチェックされない点です。察することができない医師、不安の存在に気づかない医師。知識ではなく叡智を学んで欲しい。知識は単なる玩具、叡智は自分の心と頭で考えること。予想される術後の合併症が生じても無関心で、「無関係だ」と横暴に主張する医師。やりっ放しの医術では、患者さんは浮かばれません。臨床医には人の生き様に対する敬意と愛情が不可欠です。ガイドラインに表れる数字は確率的な真実に過ぎませんが、一方、情緒的な判断も大きな犠牲を孕(はら)んでいます。リーダーはチーム医療を確立し、確固たる信念で人事を掌握し、優しさで過ちを許し合い軌道修正できる勇気が大切です。

かつて私は、ある病院で部長として内科を創り上げる喜びと苦労を経験しました。救急医療の開始とそれに反対する労働組合との戦い。ドック健診や訪問診療、併設する老人ホームの顧問医。それら全てが現在の私の原点です。全職員の感動ある舞台となる病院が理想です。私は、若い医師やナースそしてコメディカルが好きです。彼らは喜びと幸せのメッセンジャーです。

悲しみにくれる涙には心が痛みますが、過去の苦労や無情を想い努力が報われようとする時に出るそんな涙には感動します。山中先生の目に光る涙は、そうしたものだったに違いありません。 愛と情熱と使命感で、皆で頑張りましょう。