松浦甲彰(名瀬徳洲会病院院長)

徳洲新聞2011年(平成23年)11/21 月曜日 NO.801

全ては徳洲会が離島に病院を建設したことで始まった~地域が必要とする医師は、その地域での修練でこそ育つ~

先日の奄美の大雨で、去年のことを思い出しました。その10月20日はいつもと同じ朝でしたが、数時間後には未曾有の大雨になり、災害対策本部を設けて対応に追われることになりました。しかし奄美市内は大きな混乱もなく、一時的な停電はあったものの、ライフラインはほぼ確保されていました。両親からも電話があり心配の必要がなく、病院の機能が失われていなかった点も幸運でした。何より安心できたのは、名瀬徳洲会病院の大きな存在でした。その規模と恵まれたスタッフに支えられ、私自身余裕をもって対処することができました。

14年前の名瀬病院は、60床未満の小さな病院でした。できた当時は毎年インフルエンザが流行し、そのたびに満床で受け入れられない患者さんを外来の観察室に宿泊させて診ていました。が、それも限界となり、「もう引き受けるベッドどころか場所もありません。7人はそちらで診てください」と施設に応答したこともありました。

比べて、今の病院には大きな安心感があります。豪雨被害が明らかになった時点で、院内外からベッドを集めました。そして、その数を当院の収容可能人数として奄美市災害対策本部に伝え、被災した施設の入所者さんをスムーズに収容することに結びつけました。体育館などでの避難所生活が回避できたのは、病院と施設の充実(3病院4施設)がもたらした結果だと強く感じています。特に、3月の東日本大震災で避難所生活を余儀なくされている方々のことを考えると、どれだけ幸運であったかと感じるばかりです。

病院経営という側面からは現状の規模の病院が離島に必要なのかと考えさせられ、それを存続させることの困難に思いが及ぶ場面もあります。しかし、病院建設のために払われた多くの努力や、維持・運営のためのぎりぎりの努力があればこそ救われる人たちも多いことを、あらためて感じさせられました。

理事長との出会いに導かれ離島・僻地医療に邁進した

徳之島に徳洲会病院が開設された昭和61年の11月。私は、出身大学のある福岡から熊本まで叔父と一緒に車を走らせていました。叔父から「偉い人がいるから一度話を聴いてみたらどうか」と誘われたと記憶しています。その日、徳田虎雄理事長が何を語ったのかは覚えていませんが、思い出深いのは翌日まで行動を共にしたことです。

懇親会が終わった午前0時すぎ、私は救急車の助手席に座らされ、理事長は後部のストレッチャーに横になっていました。翌日行われる長崎北徳洲会病院の開院式に出席するためでしたが、速度計を振り切りそうな勢いで走ったため午前4時半に着いてしまい、私は式までホテルで休みを取りました。目が覚めて会場に行くと、理事長はすでに走り回っていて、そしていつしか眼前から消えていました。私は、帰途に就いた博多行きの電車に揺られながら、徳洲会に入職することを自然と受け入れていたような気がします。

何かを求めて走り続けていた姿を見て、理事長という人の真実を自分の体で感じた一日だったのかもしれません。なぜ徳洲会に身を置くのか、そのきっかけは何かと尋ねられても、私はうまく答えられませんし、よくわかりません。言葉より何より先に行動する理事長を見たことが全てなのだと思います。

私は、年齢的に医師として活躍できる時期に自分の故郷で大きな病院と多くのスタッフに恵まれ、もてる能力をより多く発揮できるチャンスを与えられました。それはこの上ない幸せでしたし、全ては徳洲会が離島に病院を建設してくれたことから始まったのです。そして、そこで努力する勇気を与えてくれ、今へと導いてくれたものは、単純明快な理事長の真実一路の姿だったと理解しています。

都市部の病院で研鑚するか目の前の患者さんを救うか

私たちの最終目標は、病を抱えた多くの人々にいかに恩恵をもたらすかにあります。そのために知識を蓄え、新たな技術の習得に努力を払っているはずです。医療内容は刻々と進歩していますから、学んだ知識は日々改定を加えられ、習得した技術も磨かれなければ使いものにならなくなります。ところが、離島を離れて自己の修練に時間を費やすことは、一方で「目の前にいる、病に苦しむ人に手を差し伸べるチャンスと時間を失うこと」にもなります。島を出て研鑽を積むことが重要なのか、今もっている力で目の前の人を救うことに多くの努力を払うべきなのか?離島医療で常に頭をもたげてきた悩みでした。

自分に何が必要なのか、何を学ぶべきかは、その地域に腰を据えて活動すれば、おのずと見えてきます。自分に患者さんの運命が託されたとき、その人が救われるか否かは自分の全能力にかかってきます。したがって、「いろいろなことを学ばなければ」という欲求も強くなります。しかし、都市部の病院で最先端の設備やスタッフに囲まれ、優れた医師も大勢いる環境では、自分の能力の一部しか必要とされないかもしれません。必要がなければ学びもなくなり、能力は低下します。恵まれた環境では、離島のような場所で必要な知識を学ぶ機会は失われてしまいます。つまり離島に限らず、その地域で必要とされる総合医は、その地域での修練があればこそ育っていくのです。

離島・僻地では、自分以外に頼れる者がいなければ自らがトップとしての責任を負わなければなりません。ですが、自分に何かできることがあり、ときにそれが人の運命を変えてしまうほどのものになったとき、「頑張ってよかった」という感動と感激を得ることができます。

常に「自分が何とかしてあげなければ」という状況に立たされるのが離島・僻地医療です。そして、その心意気があれば最善の医療は可能なはずです。

皆で頑張りましょう。