佐々木紀仁(沖永良部徳洲会病院院長)

徳洲新聞2011年(平成23年)8/29 月曜日 NO.789

困っている人に手を差し伸べれば、自分の人生もよくなる~理事長の意志を現場に広め、現場の声を理事長に伝える~

私は、8年前に沖永良部徳洲会病院に入職しました。大学で医局生活を続けていた私が故郷の徳洲会病院に入った直接のきっかけは、何のために医者になったんだと問い続けていた父が急性大動脈解離で南部徳洲会病院にヘリ搬送され、赤崎満・現院長に緊急手術を受け助けていただいたことです。その父も平成20年5月に他界、遺品から私の入職の経緯などを書いた直言の切り抜きが出てきて驚きました。島に帰ったものの親のところに月に1度も来ない親不孝者と言い続けていた父親の思いを、後になって知りました。

以前は成人の循環器疾患しか診なかった私が、島では年齢、性別、主訴を問わず全ての患者さんを診察します。大学でも経験したことのない拘束型心筋症で心臓移植を受けた患者さんや、新生児の腸回転異常症の患者さんなど、これまでにいろいろな経験をさせていただき、多くのことを学びました。島の医療で大変なのは、臨床の忙しさではありません。病院と、30秒でたどり着く自宅との往復を繰り返す毎日の生活で生まれる閉塞感と、この仕事を一生このまま続けていくのだろうかという漠然とした不安感が大きいのです。

昨年、私の母校である鳥取大学にも地域医療学講座が開設され、初めての地域医療シンポジウムで話をする機会を得ました。初代教授となった医局の先輩に、離島医療の大変さを語ってくれと頼まれたのです。

しかし8年しか経験のない私ではまだまだだと思い、30年間にわたって鹿児島県下甑島の離島医療を支えてこられ、『Dr・コトー診療所』のモデルにもなった瀬戸上健二郎先生に尋ねてみました。先生は、37歳で下甑島に赴任された方です。「半年のつもりが、もう半年、もう半年と延びていく中で、自分はこのままここで終わってしまうのではないかという気持ちを抑えることが一番つらかった。それでも、これをやろう、あれもやろうと挑戦を続けたことが自分を支えてきた」のだそうです。そして「離島診療はロマンだよ。細分化された先端医療に満足できず、離島や僻地で総合的な医療をやってみたいという医師は確実にいる」 とも話してくれました。

この話は、くじけそうな私に希望と勇気を与えてくれました。

自分が楽をしているときは周囲には苦労している人が

入職して2年目、40歳のときに沖永良部徳洲会病院の院長に任命されました。そのとき徳田虎雄理事長は、「世界一の離島医療をする病院をつくりなさい」と私に言いました。「院長は病院のことを一番考え、職員の一人ひとりを家族と思うべきだ。新しい病院を建てるときは、先祖から受け継いだ土地を譲り受けるのだから、それなりの覚悟をもって仕事をしなければならない。利己を捨て、自分の思いと反対のことをせよ。立場に関係なく、いい考えに従いなさい」とも。

奄美の人たちは、薩摩や米国支配の中で生きてきました。理事長は子どもの頃に米軍兵士に寄り添う島の若い女性たちを見て、奄美の人たちは心の中まで支配され駄目になっていると強い憤りを覚え、自分たちの奄美は自分たちでつくらなければならないと感じたそうです。

徳洲会が誕生したのも、理事長が9歳のときに目の前で3歳の弟が亡くなるという、つらく悲しい出来事があったからです。その並外れた行動力の裏にあるものは、世の中の不条理に対する強い怒りだと感じました。しかし、その不条理を解決するために、怒りではなく愛情を表すことで世の中を変えようとしています。われわれは、その点を学ばなければなりません。

理事長は、病の中にある今も全力で走り続けています。自分のためではなく、困っている人のためにトップが頑張っているのに、どうして自由に動き回り、自らの欲望を満たすことができる私たちが自分を抑えることができないのでしょう。「自分だけがいいと満足するのではなく、苦しい思いをしている人がいたら手を差し伸べることで、自分の人生が豊かなものになる」という理事長の言葉が心に染みます。

院長になって感じたのは、自分が楽をしているときには周りに苦労をしている人が何人もいるということです。自分が幸せを目指せば、周囲に不幸をもたらす可能性があることを自覚しなくてはなりません。まさに、われわれ医療人は患者さんの生き血を吸って生きているのです。

離島の慢性的医師不足を解決するために動き出す

私は徳洲会に入るというより、故郷に徳洲会病院があったから入職しました。しかし、理事長がいなければ島に病院はできなかったし、徳洲会でなければその維持ができないことを強く実感しています。新しい湘南鎌倉総合病院を訪れたとき、南の小島で生まれ、手には子どもの頃にサトウキビでつけた傷が残る理事長がまったくのゼロから立派な病院をいくつも建てられるようになったのかと、同じ離島出身の者として誇りに思いました。

開院から20年経過した当院は、老朽化と急性期病棟の狭さが大きな問題で、患者さんにかなりの無理を強いています。現在、隣接地に建築予定の新病棟の設計が最終段階に入りました。ゆったりと療養できるように病室は4人床以下とし、血管造影のできるカテ室も備えます。

残念ながら、離島の病院では慢性的な医師不足が続いています。理事長は都市部に病院をつくって医師を集め、離島・僻地に派遣する体制が必要だと訴え続けてきましたが、十分には機能していません。理事長がそれぞれの病院を回らなくなったから理念も伝わらなくなったといわれないよう、私たち四役にはその意志を現場に伝えて浸透させると同時に、現場の声を理事長に伝える義務をもっています。

理事長の全てを受け継ぐことは無理かもしれませんが、職員一人ひとりが志を受け継ぐことはできます。地域の医療を守りつつ、人生をよりよきものにできるよう、皆で頑張りましょう。