飯田信也(鹿児島徳洲会病院院長)

徳洲新聞2009年(平成21年)8/31 月曜日 NO.687

いつでも、どこでも、誰でもが、最善の医療が受けられる社会に ~人間同士の結びつきが新たな仲間を生み、地理的隔たりを埋める~

その人のお墓は、かつて勤務された工場を見守るように徳之島の池のほとりにひっそりと建っています。墓には「凡事徹底」と刻まれていて、生前の淡々と飄々とした生活の中にそのような考えが秘められていたのだと思うと、胸が熱くなります。

夏の夜はプールサイドで、星のきらめく天の川やぽっかり浮かんだ月を見上げ、黒糖焼酎をちびちびとやりながら語り合ったものです。その方の娘さんが、若くして白血病で亡くなられた話を聞いたことを思い出します。その当時はまだ島に徳洲会病院はなく、沖縄の南部徳洲会病院で治療されたそうです。そのときの担当医が葛城四郎先生と聞き、驚いたことがありました。

静かな夜に一人焼酎を飲んでいると、思い出す人がいます。いつも「一杯やろ」と電話がかかりました。行くと「さあ、一杯」とラム酒のルリカケスを勧められ、酒に弱い私はいつも途中で「救急の患者さんが来られたらどうしよう」と思い悩みつつもいつしか酔いつぶれたものです。戦後釘拾いから始め、一代で財を築かれたその風貌は迫力がありながら、不思議な安心感と爽快感を醸し出していました。

私は院長になったばかりで、酒が入ると気弱になり愚痴ったり泣いたりしていましたが、いろいろと教えられ支えていただきました。働くということ、組織を運営するにあたっての心得など、鹿児島に異動した今も導いていただいた教えは心の糧となって私を支えてくれています。

鹿児島の院長なのに、徳之島にこだわりすぎているとよく言われます。そうかもしれません。しかし、8年余も島で暮らし、人間として医者として成長させてもらった土地にはやはりこだわっていたいと思います。

「お前のところの理事長はすごいね。一度会ってみたい」

私の両親は今、茅ヶ崎に住んでいます。2人とも茅ヶ崎徳洲会総合病院の通院患者で、父はこれまで幾度も危ない状態を迎えましたが、そのつど助けていただきました。だから両親は同院の信奉者で、毎月通院というより”参拝”しています(この場をお借りして、亀井徹正院長をはじめ、スタッフの皆さまに厚くお礼申し上げます)。

両親にとって、徳洲会とは茅ヶ崎病院が全てであるようです。私が二十数年前に徳洲会に入職したときには、てっきり茅ヶ崎に入ると思っていたらしく、鹿児島徳洲会病院に行くと告げると「なんで鹿児島なんだ。そんな地の果てになんで行かんとならんの」と怒っておりました。

私が鹿児島に来て17年になりました。今ではここが世の中の中心という思いで医療に従事していますが、両親にとっては今でも”地の果て”なのでしょう。10年前にアメリカとフランスに留学、帰国後東京の国立がんセンターにいたときに徳之島に赴任が決まると、両親からは「留学までして、なんで地図にも載らないような島に行かされるんだ」と激怒されました。多くの離島を知らない人たちも、両親と同じ感じなのでしょうね。

ただわが家の場合、私が院長になってからはさすがにいろいろと調べたようで、「徳之島は徳洲会の本家本元、総本山じゃないか。そんなところの院長がお前に務まるのか」とか、徳田虎雄理事長の著作『トラオがゆく』を読んだらしく「お前のところの理事長はすごいね。一度会ってみたいもんだ」と言っています。

私は宮城県塩釜の港町で生まれました。父の転勤や就学、就職により、東京、小樽、大阪、茅ヶ崎、札幌、長崎、鹿児島、アメリカ、フランス、東京、徳之島と移り住んできました。どの地域にも素晴らしい人たちが住んでいます。いつでも、どこでも、誰でもが、最善の医療が受けられ健康で安全な日常を送る権利があり、それを支えるのが私たちの責務だと思います。

人員不足に悩む島の病院がお互いにスタッフを融通し合う

各地で医学生に会うたび、医者の人生の中で一度でいいから島での医療を体験し、人との出会いの大切さを知ってもらいたいと話します。行けばわかると。

鹿児島の離島には8病院、5クリニック、2診療所がありますが、そのどれもが外からの応援を必要としています。不思議なもので、人員不足に悩む島の病院がお互いにスタッフを融通し合ってきました。そんな中で、徳之島の院長時代に思ったことは小さな病院同士が連携すれば、両方の規模を合わせたスケールでの活動や余裕が生まれるんだということでした。

さらに徳之島の199床と鹿児島の310床を合わせて、500床超の病院連合ができれば、それぞれの規模では超えられない壁が突破できると思ったのです。誰かが「それは長屋の、米や味噌の貸し借りみたいだ」と言いましたが、長屋中で融通し合えば皆が楽に暮らせます。

私が骨を埋める覚悟でいた徳之島を離れ、鹿児島に来た最大の理由がそこにあります。現在、鹿児島県下にある徳洲会グループの病床数は2000床を超えます。県下の全グループ施設が、今まで以上に密接に連携すれば日本でも類を見ない巨大な医療組織が出来上がります。与論、沖永良部、徳之島、名瀬、瀬戸内、笠利、喜界、屋久島の病院、中山や東天城のクリニックなどには、各診療科をリードする院長や医師がそろい、まさに”千両役者”のそろい踏みです。私が鹿児島・徳之島連合にこだわるのは、そうした思いからです。

2年後の九州新幹線鹿児島ルートの開通で、鹿児島と福岡は約1時間半で結ばれ両県は通勤圏内となります。そうなれば”九州大連合”も夢ではありません。

300床クラスの病院単独ではとても実現できないような大きなことが、連携して2000床、3000床の規模になれば、逆にできないことのほうが少ないのではないでしょうか。

海を隔てて、地理的には何百km離れていようとも、人間同士の結びつきが新たな仲間を生み、距離を埋めていくでしょう。

皆で頑張りましょう。