佐々木紀仁(沖永良部徳洲会病院院長)

徳洲新聞2007年(平成19年)12/24 月曜日 NO.601

徳洲会の理念と哲学の実践は人を豊かな存在に育てる ~仲間を得て、「和」を拡げるには人を動かす力が必要だ~

沖永良部島では“うやぬなしうかぎ(両親が生んでくれたおかげで自分がある)”と、幼時から祖先や両親を敬うように教えられ育てられます。  70歳になると初敬老の祝いをするのが慣わしで、この時は島を離れた子どもや孫の皆が島に帰り、苦労して懸命に育ててくれた両親に感謝し、古希を祝います。沖永良部島では、これが最高の親孝行だと言われています。  私の祖父母は中学生の時に70歳を前に病気で亡くなりました。当時の医療レベルとは関係なく亡くなったと思いますが、その時「島の医療は自分が何とかするんだ」との思いが生まれ、医学部に進学しました。大学卒業後には鹿児島に帰るつもりでいましたが、心臓電気生理学に興味を持ち、いつでも帰れるという安易な気持ちもあったので、大学に残って循環器内科に入局し研究と臨床を続けていました。  福岡徳洲会病院の医師対策担当の富島博久さんには何度も何度も足を運んで頂きましたが、「いつかは島の徳洲会に入るから」と中途半端な返事を続けていました。そんな時、島にいる父親が急性大動脈解離で沖縄にヘリ搬送されたと連絡がありました。普段は高血圧で他院にかかっていましたが、その日は日曜日、救急車を要請し沖永良部徳洲会病院を受診し、的確に診断して頂きました。  電話を受けた直後、私も米子から那覇へ移動。搬送先の南部徳洲会病院で赤崎満先生の執刀での手術を見学させて頂きました。「何のために医者になった」が口癖だった父が、長時間の手術の後、人工呼吸器につながれているのを見て、そして昼夜を問わず献身的に医療に取り組んでおられる南部徳洲会病院の先生方の姿を目の当たりにして、自分の親は他の先生方に見て頂いて、自分は大学で何をしているんだと、「島の医者になる」という初心を思い出し、帰る決心をしました。  おかげさまで父は順調に回復し、今は元気に暮らしています。私は、自分が受けた恩恵を、少しでも島の方々や徳洲会にお返しできればとの思いで4年前に徳洲会に入職しました。富島さんには心から感謝しています。

困っている人のためには医療に限らず全力を尽くす

徳洲会の新入職員研修で、徳田虎雄理事長がいろいろな病院の幹部の方と話し合いをしている場に同席しました。その時、南部徳洲会病院の小渡輝雄院長、赤崎副院長、屋田正彦事務局長に向かって、「南部の業績が来月も同じだったら、君たち3人はコンクリートを抱えて東京湾に飛び込め」と言われたので驚きました。  南部徳洲会病院は一生懸命頑張っているのに、どうしてそういう厳しいことを言われるのかと。でも今では、理事長が力いっぱい怒鳴ったり、怒ったりするのは、その人の力量を認めた証であることがわかりました。  私がその場を離れる時に理事長は、「佐々木、徳洲会がつぶれても沖永良部に病院は残るんだよ。しっかり頑張れ」と言われました。理事長の偉大なところは、人を動かす力の強さです。それは強制的とか威圧的というものではなく、人として生きる、活動する、人間の根源にあるところを揺り動かす力です。私の島での臨床は、とにかくできるだけのことを懸命にやる、ただそれだけです。  保存血液が間に合わず、職員や地域の方の協力で新鮮血輸血を行ったことも度々です。島では対応が難しい救急疾患、急性心筋梗塞などは、自衛隊にヘリ搬送を要請していますが、救急でない先天性心疾患などの患者さんは、定期的に自分たちで沖縄本島の病院に通わなくてはなりません。現在、病院受診であっても旅費の公的補助はなく、町議会で議題にはなってもすぐには解決できません。  何とかしたいと、徳洲号(パイパー機)の松本泰治機長の協力を得て病院の受診時には都合が合えば乗せて頂き、多くの方々を沖縄にお送りしています。南部徳洲会病院には患者さんが入院された時にご家族の方が寝泊りできる場所があり、本当に助かっています。  離島診療の基本は総合診療ですが、都市部の病院では総合診療医が不足していると聞きます。離島と都市部、それぞれ大変なところがありますが、もっと徳洲会グループ内での交流を深め、お互いの長所を生かすことでカバーできないものかと感じてならないのです。

「生命だけは平等だ」の理念は一人ひとりの実践で実る

いきなり臨床現場から院長になり、自分の考えは持たずいい考えに従う、目標をしっかり示す、リーダーは自我を抑えて組織を動かす力が必要だと学び、毎日が勉強です。組織にはチームワークが必要です。他の職員に優しい人は患者さんにも優しく、患者さんへの優しい言葉遣いや対応は周囲の人の心も和ませます。医事課の担当者には日計表で分娩数に1を加える時は、ただ入力するだけでなく、大切な生命が生まれた深夜に75歳になる当院の産婦人科の小林純郎先生が出て来られたことに思いを馳せてくださいと話しています。病院には、全ての部署全ての職員一人ひとりがかけがえのない存在なのです。  理事長の言葉の中で高名な方とのエピソードも心を打ちますが、病院建設の際に土地を譲って頂いた農家の方を忘れないとか、患者さんにとって最善の策である“ブライアン看護師の原則”など、トップが全世界に目を向ける一方で小さな支えに心を動かされていることは、末端の現場で働く我々に勇気を与えます。経営戦略セミナーで学んだことが現場に生かせるように、現場の問題点がセミナーで解決できるように、風通しを良くすることが大切だと思います。  徳洲会を支えるのは、末端の我々だという自覚が必要です。理事長の苦難に比べれば、我々の悩みは本当にちっぽけなものです。利己を捨て、愛をもって全てに当たることで、理事長のように人を動かす力が少しでも備わるようにできれば、徳洲会の仲間をもっと増やすことができるでしょう。自分の故郷だけが良いのでは意味がありません。徳洲会の仲間と協力して世界中の人々が救われる日が一日でも早く来るように、皆で頑張りましょう。