板垣徹也(東京西徳洲会病院院長)

徳洲新聞2007年(平成19年)9/3 月曜日 NO.585

病院の運営は?兆し?の流れを集めて奔流にすること~今後の新設病院は波状的なグループ病院の応援が必要~

今年8月11日、東京西徳洲会病院において3例目の生体腎移植が実施されました。これまでと同じように、万波誠先生とそのグループの先生方の協力を得て、手術は順調に終了。術前・術後の周術期を通して、抗体除去・免疫抑制剤の強力な使用など、最新かつ細心の管理が行われています。  振り返りますと、昨年の9月30日に、当院第1例目の腎移植が無事終わった直後に宇和島での臓器売買のニュースが流れ、病腎移植の問題に発展。激震の続く、1年間の幕開けでした。徳洲会グループとして、さらなる移植医療推進のための雌伏期間であったと考え、今後の体制整備・協力関係の構築を急いでいます。  当院の腎臓病総合医療センターは移植も含め、良好な透析医療を提供するためにオンラインHD(血液透析)やチーム医療の確立に励んでいます。地域との連携とともに、腎臓専門医不在のグループ病院との連携も模索しながら実施してきました。  循環器病センターは開院当初から循環器・カテーテル治療を行い、心臓カテーテルは1057件を超えました。その中に経皮的冠動脈形成術(PCI)475件を含みます。06年4月からは循環器当直体制を敷き、虚血性心疾患への24時間対応を行っています。7月27日には多摩地区で研究会を開催し、盛況でした。院内の勉強会も積極的に実施しています。  神経難病センターは最盛期には難病患者様を38名(うち呼吸器使用10名)受け入れていましたが、現在の入院数は13名です。このセンターは、関東のグループ病院の協力を得て、3カ月を目途としたサイクルを考え、1人でも多くの患者様が入院できるシステムを模索し、現在まで延17名の患者様の病院間での転院、在宅と入院の繰り返しなどを実施しています。  放射線医学センターはMRI2基、CT64列2基、PET―CT2基、アンギオ装置2基、リニアック1基など、最新機器を重装備していますが、自重に耐えられず沈下していく様相を呈しました。本部からの梃入れを受け、病診連携室を立ち上げ、医療機器の地域への開放も徐々に進んでいます。  さらに遠隔画像診断を開院当初から奄美諸島の病院と行い、離島医療の質の向上に資しています。

救命救急医療が地域の信頼の核になる

東京西病院は、半円筒形の外観をしており、玄関を入ると8階までの吹き抜けがあります。病院建設中から、私のイメージは?中心のないドーナツのような病院?というものでした。専門化したセンターには医師が集まりますが、一般・総合診療・プライマリケアには集まりません。全国の病院でも、一般内科の閉鎖が続いています。救急医療と専門領域の間が、埋めにくい境界領域として置き去りにされています。  新設病院の初期の運営には、種々の悪条件があります。人材面の悪条件の1つが、一般内科・総合診療を担う医師の不足です。2番目が救命救急医療を担う若手の医師の不足です。新研修医制度は徳洲会グループには追い風的な制度ですが、新設病院にとって、向かい風の制度になっています。  東京西病院の開院時に、福岡徳洲会病院のERからの応援で支えてもらいました。彼等は当院の救急医療の問題点を指摘し、具体的な改善の方法も示してくれました。中でもやはり救急から受け継ぐ病棟の体制、とりわけ内科医の不足が焦眉の課題として挙げられました。  この課題は不充分な解決すらなく今日まで引き延ばされていますが、診療体制や当直・救急の体制を組み替え、その都度できる最低のラインを敷き、しのいできました。  紆余曲折があり、看護師不足から1病棟を閉鎖し、救急患者様の受け入れにも支障をきたすようになり、全国のグループ病院から1病棟開設分の人数の応援・転勤を頂くことになりました。それと同時に、遠藤清先生が院長補佐として宇治徳洲会病院から異動され、北川寛之先生に整形外科に入って頂き、顎・顔面外傷を扱う口腔外科も当直体制に入りました。このことによって、外科系の救急が充実し、手術件数も増加してきました。救急件数は5月に228件、7月には363件と増えて、地域の消防署、地域住民の方々の信頼を得る端緒に就いたと考えています。

職員一人ひとりが病院をつくる自覚を

新設病院の建設や初期経営が、困難になっています。もちろん東京西病院も単独の病院としては成立できません。グループや本部からの応援・指導・梃入れが必要になります。当院では3回の大きな応援を受けています。  最初は開院の時期です。2度目が丁度1年前になります。手術室の看護師が大量に退職し、全国から応援を頂きました。それにより手術室の業務は質を落とすことなく遂行され、6カ月にわたる応援で再び立ち上りました。  07年に入り、看護師不足と開院当初から続いた院内の不協和音によって、1病棟を閉鎖せざるを得ない破目に陥りました。この困難な時期に、電子カルテの導入に踏み切りました。静岡徳洲会病院の教訓を踏まえて、看護部でアンケートを行って導入を決めたのです。  各部署の業務の整理と部署間の調整など、電子化に伴う作業を、システム委員会が中心となって行いました。この作業を通じて、病院全体が1つの方向、同じ目標に向かって進むという副次的な作用が出現し「2回目の開院」とでも言えるような、職員の団結・共同作業・求心力が生まれました。  病棟を閉鎖し、さらに救急の受け入れも制限される状況に追い込まれ、どん底感がある一方で、逆にここから浮上していこうという強い意識が、全職員の中から生まれた時期でもあったのです。  4月には閉鎖病棟の再開棟やICU開設の検討に入り、本部や幹部会との協議の末、病棟を開くことになり、3回目の応援を受けることになりました。多くの病院から応援・転勤を頂きました。  グループ病院に感謝するとともに、開院時だけでなく、何度か波状的に応援してもらえたので、運営の方向性が見えたのです。大型化する開設病院の初期運営にとって、必要な手法だと考えています。  皆で頑張りましょう。