ロゴ
徳洲新聞2006年(平成18年)2/13 月曜日 NO.505
直言 皆の医療と福祉の活躍の場は日本全国・世界中にある!
~コツコツと不断の努力を怠らない者にのみ勝利の栄冠が~

飯田信也(徳之島徳洲会病院総長)
 私と徳洲会との縁も、 今年で18年目に入ります。
 長崎の国立病院での研修を終え、母校へ帰るまでの1年間を徳洲会で研修させてもらおうと、全国の病院を見学して歩き、結局医局総出で飲めや歌えの大接待。加えて人事課長の「先生、鹿児島は徳田虎雄理事長のお膝元ですから、若くて美人でしかも実力のある看護婦さんばっかりですよ。何たって、理事長自ら面接しているぐらいですから。理事長はね、面食いなんですよ」との言葉に、若い研修医は簡単に引っ掛かり、私は鹿児島徳洲会病院に入局しました。
 当時の新人医局員紹介欄を見ると、「大学の先輩である○○院長の人柄に惚れ……」と書いてあります。折りしも理事長が衆議院に初当選した頃で、病院全体がお祭り騒ぎでした。医局や職員も皆若く、エネルギーに満ち溢れていました。
 その頃私は、日本でも少数だった胆石の体外衝撃波を担当させてもらいました。国内外の学会での発表、講師として招聘されたり、また病院には最先端の腹腔鏡による胆石手術も導入、大隅鹿屋と鹿児島の両病院で県下の症例数の上位を占めていました。その内、泌尿器で腎移植、小児科で自家骨髄移植等が始まり、「外科も何かやれ!」と。じゃあ、肝移植をやるかと病院の地下で、当時米国から帰ったばかりの茅ヶ崎病院の三輪先生から指導を受け、豚を使って移植の実験をやっていました。

徳洲会の厳しい訓練が米・仏への留学を有意義に
 当時、 理事長の選挙への執念は物凄く、天文館で名刺を配り、鹿児島市の全世帯に『トラオが行く』を配布していました。ある時、天文館で病院の事務長が物陰で通り掛かりの人に何か配っていました。「給料が安いから、夜もバイトしないと食っていけないんだ。大変だなぁ」と思ったら、「違うんです。『トラオが行く』を1日100冊配るので大変なんですよ」と言うので、私も手伝ったものです。
 ある日の新聞に、「眼鏡を掛けた男性が、登校中の子供たちに『この本を読むと頭が良くなるから、皆で読みなさい』と『トラオが行く』を渡して去って行った」という記事が載って、医局の皆で「この運動員は誰だろう?」と話していると、いつものごとくフラッと医局に立ち寄った理事長が「何やってんだ!」、「こんな記事が出てました」、「アッ!? これはオレだ!」ということもありました。そうするうちに豚の肝移植もうまくいき、そろそろ臨床と考えていたら、米国留学の話が出ました。
 留学が決まって、理事長に報告に行くと、「肝移植か。肝移植は日本ではあまり症例ないぞ。やるなら腎移植だと思うけどな。それより、アメリカもいいけど離島はどうだ?」と雲行きが怪しくなったので、早々に理事長室を後にしたものです。
 米国には2年間留学させてもらい、さらにフランスに半年留学。東京の癌センターでの半年の研修と合わせて、その3年間は私の人生の中でも宝物のような日々です。
 米国ピッツバーグは移植のメッカと言われ、全世界から医者も患者も集まるところでした。常に心臓や肺、肝臓など何らかの移植が行われていて、1つの手術でもドクターで黒山の人だかり。そんな中で、日本人の私とトルコ人の外科医がよく手術に呼ばれて入っていました。
 あれはクリスマスの真夜中に、スイス人で助教授の外科医と腎移植を2人でやっていた時のことです。その時は、私が執刀させてもらったのですが、手術が一段落して「これだけ沢山の留学生がいる中で、取り立てて経験も技術も豊富というわけでもない私ばかりが、よく手術に入れて頂けるのはどういうわけなのですか?」と訊いたところ、「確かに、誰でも手術経験が豊富で上手い者とやりたいのは人情だ。しかし、いつでもどこでも、腎移植を手伝いに来てくれる医者というのはそうはいないよ。クリスマスの吹雪の真夜中に、喜んで来るのは君とあのトルコ人だけだろう。アメリカでは、派手な技術を持った者のみが評価されるわけではない。コツコツと不断の努力を怠らない者にもまた、勝利の栄冠が与えられるのだよ」
 嗚呼、徳洲会の厳しい訓練の賜と思ったのでした。

徳之島を世界一のヘルシーリゾートアイランドに
 フランスの移植外科手術が素晴しいと聞き、 その技術の取得に半年パリに留学しました。時間もあり、芸術や文化、料理やワイン等を楽しむこともできましたが、次の天才外科医の一言で私は日本に戻ることにしました。
「君は、癌センターに見学に行ったか?」、「いいえ」、「なぜ、先にあそこに行かない? あそこには偉大なドクターが大勢いるじゃないか、私たちも彼らに教わったんだ」
 そこで私は日本に戻り、癌センターで研修を受けました。東京生活が一段落した頃、帰国の挨拶に本部へ行った際に飛び込んだトイレで理事長と出会いました。「あれ? 確か君はアメリカに行っておったのでは?」、「はい、4カ月前に戻り今は癌センターで勉強しています」、「そうか。じゃ、頑張れよ」と。その2週間後のクリスマスに、突然人事の宮崎さんから、「徳之島の大久保院長が県議選に出ることになったので、急遽外科医がいることになった。何とか応援に行ってもらえないか? 理事長からのたってのお願いということで、何でもトイレで誘われたとか?」、「それは違うんです。ただふたりで連れションしただけなんです」と言えず、私は徳之島へと飛び発ちました。
 6年が経ち、この間に院長を拝命し、また今は総長という大変な役職を頂きました。あちこちに出掛けることが増え、外来の時間が若干減ったこともあり、患者さんから「先生、どこかに転勤するんですか?」と訊かれますが、いつも「いえいえ、体力と情熱が続く限り、この徳之島で頑張りますよ」とお答えして、また本気でそう思っています。
 南海の楽園・徳之島を、かつて天皇・皇后両陛下が新婚旅行に来島された頃のように、皆さんにヘルシーリゾートアイランドを楽しんで頂きたい。また島の皆さんは、決して大都市の病院の風下に甘んじることなく、日本中、世界中の国々の模範となるべく活躍し、国内外へ応援に行きましょう。
 皆で頑張りましょう。
直言バックナンバーに戻る
bn_portal_top.gif