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徳洲新聞2005年(平成17年)12/26 月曜日 NO.499
直言 仲間の心からの協力と団結が勝利の原動力、感謝深謝!!
~“生命だけは平等だ”を追求する社会運動が徳洲会の原点~

徳田毅(衆議院議員 特定医療法人徳洲会理事)
 衆議院当選後、 初めての「直言」です。この度の選挙におきましては、後援会をはじめ、徳洲会グループの職員の方々とそのご家族の皆さまに、多大なるご支援をたまわりましたことを、心より厚く御礼申し上げます。
 今回は急な選挙であり、わずか1カ月の大変短い選挙戦でした。そして何よりも、徳田虎雄理事長の勇退に伴い、私が初めて衆議院選に出馬させて頂くこととなりました。この厳しい戦いを勝利することができましたのも、応援してくださいました皆さまのおかげであると、感謝の気持ちで一杯です。
 全国の徳洲会グループからは、院長や副院長、看護部長、事務部長をはじめ、大勢のスタッフの方々が、わざわざ鹿児島まで駆け付けてくださいました。鹿児島という慣れない環境の中でのポスター貼りやパンフレットの配布、辻立ち、電話作戦、戸別訪問など、また、時には活動中に台風に遭うなど大変な思いをしたこともあったと思います。
 投票日の夜、当選確定の瞬間には皆で涙を流して喜び合いました。それは辛かったからこそ、苦しかったからこその大きな喜びです。私が一番苦しい時に頂いた皆さまからのお気持ちと、共に戦い、喜んだあの瞬間を忘れず、皆さまの代表として、ご期待以上の仕事ができるよう頑張って参ります。今後も、ご指導、ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

「国民の生命と暮らしを守る」のが政治の役割
 ここで改めて原点に返り、 なぜ徳洲会は政治参加するかを考えてみたいと思います。昭和47年に大阪・松原において徳田虎雄理事長は徳田病院を開設いたしました。それ以降、全国の農村・離島をはじめとする医療過疎地域を中心に、病院を開設し続けて参りました。その当時は、日本中で急病救急医療が充実しておらず、救急車のタライ回しなどが社会問題化しました。
 患者さまが満足に治療を受けることができないという時代背景の中で、「年中無休・24時間オープン」、「患者さまからの贈り物は一切受け取らない」との理念の実行方法を掲げる徳洲会に対し、多くの自治体や住民の皆さまから病院建設の要望がありました。ところが一方で、徳洲会の進出を政治的に反対する動きもあったのです。そこで理事長は自らその地域に次々と乗り込み、医療講演、小集会などを開いて、病院がいかに人々の生命と暮らしを守る上で欠かせないものであるか、そして徳洲会の理念を説き、住民グループの皆さまの誘致運動を励ましました。
 大阪松原市に始まり、大東市、岸和田市、八尾市、沖縄、福岡、京都、茅ヶ崎市、大和市と、各地で住民の方々と共に病院開設を勝ち取り、その後も北海道では札幌市、静内町、函館市、帯広市、東北では仙台市、余目町、山北町、新庄市、山形市、関東では羽生市、船橋市、鎌倉市、松戸市、それから名古屋、神戸、そして故郷徳之島や垂水市、鹿児島市、鹿屋市、奄美、屋久島など次々と開設して、現在では東京西、厚木市、四街道市で、計62病院を数えます。「苦しい、でも病気で苦しむ患者さんはもっと苦しいんだ」、「病院ができれば、その日から病院に来られる患者さんが助かる」、「赤字で苦しい病院もあるが、もし病院で助かった患者さんがいれば、それはどんなお金にも変えられない」
 これらの言葉は、私自身が徳田理事長から直接聞いた言葉です。これらの言葉から、「生命だけは平等だ」、「いつでも どこでも だれもが最善の医療が受けられる社会を目指して」という徳洲会の理念を、理事長がどれくらい純粋に追求してきたかが窺えると思います。
 徳田病院開設当時から、理事長は病院に来られる患者さまだけを助ければ良いのか、病院に来られずに苦しんでいる人も沢山おられる。その人達のために、自分に何ができるのかを考えていました。
 農村・離島や社会的弱者も平等に、国民の生命と生活を守るためには、社会全体を包括的に改善しなくてはなりません。それこそが、政治の大切な役割です。医療という一つの分野を取っても、各病院の医療、福祉という現場レベルからだけでなく、医療制度そのものを改善していく必要があります。それがなければ、患者さまのための医療と福祉を実現することは不可能だと思います。都市部の日常生活では、政治との結び付きはさほど感じられないとしても、社会基盤の整備が不足する農村・離島においては、政治に対する期待は大変大きいものがあります。
 さらに近年では、地方ほど少子高齢化が深刻化している中で、地方は過疎化など数多くの共通した難題を抱えています。その中で徳田理事長の哲学を実践し、国民の健康と生活を守るには、政治力が不可欠です。それが私の訴え続けている「弱者のための政治」です。

初当選を果たし世界一の医療福祉の鹿児島を目指す
 昭和58年、 理事長は故郷徳之島を含む奄美群島区より立候補しました。当時の奄美群島区は唯一の1人区で、その戦いは熾烈を極めたと聞きます。多くの方々が、生活と命をかけて8年間を共に戦い、平成2年に3度目の挑戦で初当選を果たしました。当時、「奄美の全ての島に病院をつくる」と理事長が演説で訴えると「大ボラ吹き」と罵しられ、後援会の仲間でさえも「大ボラ吹き」と思われたそうです。しかし61年、徳之島徳洲会病院の開設を皮切りに、現在では、奄美群島だけで7病院、5クリニック、2老建、8グループホームなど計33施設を展開。島に来られた方々は、それらの施設がどれくらい地域に必要とされているかをご存知だと思います。
 地域の皆さまと共に戦い「生命だけは平等だ」の理念を追求する社会運動こそが、徳洲会の原点です。私も徳田理事長より、しっかりと理念・哲学を受け継ぎ、徳洲会の一員として、また医療人の一人として誇りを持ち、世界一の医療福祉の鹿児島を目指すと共に、患者中心の医療と弱い人々が安心して暮らせる社会を目指して、国内外において全力投球で取り組んでいきます。
 皆で頑張りましょう。
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