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徳洲新聞2005年(平成17年)5/16 月曜日 NO.467
直言 「徳洲会は医の論理を正面に打ち出した唯一のグループだ」
(クロイバー世界医師会会長)
~徳洲会の理念・哲学と医療活動が世界の新しい国際基準に~

徳田 虎雄(徳洲会グループ代表)
徳田 毅(特定医療法人徳洲会理事)
 4月21日より10日間、 インドネシアとブルガリアを訪問し、インドネシアでは、インド洋大津波の被害を受け、徳洲会災害医療救援隊が支援活動を行ったバンダアチェを視察してきました。
 インドネシアには徳洲会グループから総勢75名が支援活動に参加し、アビディン病院に人工透析器5台、心電図モニター5台、心臓・腹部超音波検査装置各1台を贈呈し、その他医薬品、医療消耗品等総額8400万円分の援助を行いました。
 それ以外にも、同じように津波被害を受けたタイには37人を派遣し、医薬品や医療消耗品など1500万円分を支援。スリランカには、1300万円分、モルジブ、ミャンマーには250万円分の医薬品援助を行い、インドにも4名を派遣し、スハイ食料大臣を中心とした政府関係者らと協議し、病院建設に向け医療協力の話が進んでいます。
 アチェの被害の甚大さは、想像を絶する悲惨な状況で愕然としました。8階建てビルに相当する高さ34mの津波が3度も襲いかかり、殆どの建物と10万人以上の人命が一瞬にして失われた街には見渡す限り土砂が堆積し今も苦しい生活を強いられていました。
 私たちはバンダアチェ市内で、ペルマハタチ病院のマルツギ院長とお会いしました。津波当日出張していた先生は、津波で5人のお子さんと19人の職員、15人の患者さんを亡くされながら被災直後から果敢に病院復興に取り組む姿に、大変胸を打たれ、できる限り支援したいと考えています。
 また同日、小泉純一郎首相もバンダアチェを視察され、現地で支援に関わっている邦人との会談が持たれ、私自身も、首相より徳洲会の支援活動に対する労いのお言葉をいただきました。
 25日にはスハルト元大統領とそのご家族と面談。2人のお嬢さまから「母は生前、ハラパンキタ循環器センターと母子センター、癌センターの3病院をつくり、私たちが所有するジャカルタ市内の1万3500坪の土地にも病院をつくる予定でしたが、実現しませんでした。土地しか提供できませんが、ぜひ母に共通する理念を持った徳洲会と共に病院を設立したい。そして母の名にちなんだ記念病院にしてほしい」とお願いされました。
 スハルト元大統領からも、「病院のことは家族に任せてありますが、素晴らしい理念を持つ徳洲会をつくった徳田先生によろしくお伝えください」とのお言葉をいただき、この機会を大切に、インドネシアでの病院建設に向けて具体的な話を進めていきたいと思います。

徳洲会ソフィア病院は世界の医療改革のモデル病院
 ブルガリアでは現在、 来年4月の開院に向けて1000ベッドの病院を建設中です。検診センターや救急センター、12の手術室、CT、MRI、PET-CTなどを備えた最新鋭の病院です。今回は、ブルガリア医師会総会に出席し、同時にブルガリア厚生大臣、世界医師会会長とも会談。
 医師会総会では、世界医師会会長、欧州医師会会長も来賓として挨拶され、その次に私も徳田理事長の代理として挨拶の機会を頂き、徳洲会の理念・哲学を訴え、ブルガリアで得た利益は、すべて同国の医療福祉に使用することを約束。ブルガリアの医師会員からの反響の大きさに、徳洲会ソフィア病院への期待の強さを感じました。
 徳洲会ソフィア病院は、私たちにとって大きな挑戦であり、世界中で患者さまのための真の医療を実践する第一歩となります。この病院の成功は、ヨーロッパをはじめアジア、アフリカ、中南米の人たちにとっても大きな希望になるでしょう。
 ドイツのクロイバー世界医師会会長は「ドイツにも宗教団体などのチャリティーの病院はありますが、医の倫理を正面にはっきりと打ち出した医療グループは、世界中にたった一つ徳洲会だけでしょう。徳洲会が優れた稀有な指導者を得て、今まで私たちが経験したことのない素晴らしい医療をしていることに敬意を表します」と話し、コスト対策や運営方法など細部にわたり質問され、徳田理事長の活動を本に書いて発表したいとまでおっしゃってくれました。
 ブルガリアのボゴエフ厚生大臣も「徳洲会ソフィア病院が、今後ヨーロッパの新しいスタンダードモデルになる」と断言。
 今、世界中の医療が変革の時代を迎えている中で、徳洲会の活動や医の倫理が新しい国際基準となり、世界中の患者さまを救うことができると確信しました。

弱者のための医療・政治を実現すべく日々全力投球
 私たちは医療福祉活動と同時に、 政治活動を日本全国で行っています。
 徳田理事長は昭和48年に徳田病院を開設以来、大阪を中心に病院活動を展開しましたが、当初より故郷である徳之島に病院をつくる夢を抱いていました。幼少の頃に弟を亡くした理事長にとって、それは大切な目標でした。奄美各地で医療講演を行い、徳之島病院開設に向けた活動を始めましたが、そこで政治的な障害に突き当たり、また医療制度を変革しなければ国民に真の医療を提供できないと感じていました。
 そして、徳田理事長は政治活動を決意し、昭和58年、奄美群島区で衆議院選挙に立候補しました。当時、奄美群島区は日本唯一の一人区で、住民生活と政治が非常に密接であったことから、大変激しい選挙戦が展開され、それは奄美群島の全ての人々にとっても苦難の日々でした。選挙戦を通じ、多くの支持者の方と共に苦難を乗り越え、平成2年の3度目の選挙で初当選。悲願であった徳之島病院は昭和61年に開設され、現在奄美群島に7つの病院を含め22の医療福祉施設を有しています。
 徳洲会グループが1万8000人の仲間を持つ日本一の医療グループに成長した歴史の中には、奄美群島で暮らす人たちの苦難があり、鹿児島をはじめ全国の支持者の方々のご苦労がありました。「生命だけは平等だ」の理念の下、「いつでもどこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会を目指して」、共に手を携え、活動を続けてきたのです。これからも、私たちに支援してくださる方々への感謝を忘れず、弱者のための医療・政治を実現するために、日々全力投球していく決意でございます。
 皆で頑張りましょう。
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