徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

一般社団法人徳洲会 看護部門 教育部 部長
坂本 眞起代(さかもとまきよ)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

坂本 眞起代(さかもとまきよ)

一般社団法人徳洲会 看護部門 教育部 部長

2024年(令和6年)05月07日 火曜日 徳洲新聞 NO.1439

人事交流を進め次代を担う看護管理者に
早い時期から多くの経験を積ませていく
徳洲会の魅力や看護を語れる人材の育成も

4月入職の皆さんは、少し職場に慣れた頃でしょうか。徳洲会は忙しい職場ですが、多くの経験を積み学べる職場です。より良い人間関係を築きながら職業人として、また人として大きく成長されることを願っています。

私は北海道旭川市で生まれ育ちました。母子家庭でしたので進学を諦め、先生に勧められるまま地元の国立看護専門学校へ入学しました。しかし、古い校風と厳しい実習に馴染めず、学生時代は看護の楽しさを見出せませんでした。看護師になって良かったと思えたのは、旭川医科大学医学部附属病院に入職してからです。多くの患者さんとかかわるなかで看護への興味が深まり、のめり込んでいきました。看護の力ひとつで患者さんが良くなっていくところも、大きなやりがいにつながりました。手術室に異動し3年間、看護が見えない時期もありましたが、感謝の気持ちを伝えに来てくれた患者さんが糸口になり、苦しい時期を乗り越えることができました。

同院を13年半で退職し、札幌市で子育てをしていましたが、同院の看護部長から紹介を受け、1996年、札幌東徳洲会病院に看護管理者として入職しました。救急を断らず、患者さんのために努力を惜しまない徳洲会の理念には共感しましたが、その一方でベッドがないなか、次々と患者さんが搬送され、疲弊するスタッフとの狭間で悩み苦しむことも多い毎日でした。救急車のたらい回しも多い時代でしたが、ある時、心筋梗塞の患者さんから「10件以上断られ、この病院がやっと受け入れてくれた。受け入れてもらえるなら廊下でも構わなかった」と言われました。私たちがなすべきことは患者さんの命を救うこと、そのために「今できることを精一杯やるしかない」。患者さんの一言で吹っ切れたものがありました。

組織を支える管理者配置が 脆弱な病院がまだまだ多い

2024年3月5日、同院の清水洋三・名誉院長が逝去されました。その功績は一言で語り尽くせませんが、医局のさまざまな逆境を乗り越え、臨床研修病院やJCI(国際的な医療機能評価)取得など質向上へ向け、大きな舵取りを担われました。また、私のスキルアップにも「必ず後輩が後に続く」と背中を押していただき、15年に認定看護管理者を取得しました。その後は、本当に看護管理者やスペシャリストの育成が進み、また大卒や大学院卒も増えてきましたので、遅ればせながら通信制大学で勉強し、22年に看護学の学位を取得しました。看護師になってから熱い思いをもって看護に邁進してきましたが、人の上に立つ立場になり、あらためて看護や管理の裏付け、エビデンスの重要性を痛感しています。

22年4月に一般社団法人徳洲会東京本部へ異動し、2年が過ぎました。私は教育部を担当し、また看護部門で分担しながら巡回指導にも行っています。巡回指導は経営的視点のみならず、「百聞は一見にしかず」で、看護の質や病院の風通しの良し悪しが見える良い機会にもなっています。そのなかで今、最も気になっているのは、組織を支える管理者配置が脆弱な病院が、まだまだ多いことです。管理者不足は職員の定着や離職、個々のやりがいなどにも大きな影響を及ぼします。この状況を改善するためにも、教育部としては、人事・総務部と連携を取りながら、短期・中長期計画を立てて管理者育成を推進していきます。また今年度、看護部門で目標に掲げた人事交流も各施設で進めていただき、次代を担う看護管理者に早い時期から多くの経験を積ませてほしいと思います。

教育が徳洲会の売りとなるよう 看護部長らの協力得ながら推進

このほか新人教育、看護補助者教育、スペシャリスト育成、学会発表支援、他施設を学べるベストプラクティス研修など、多様な活動を行っています。教育が徳洲会の“売り”となるよう、また徳洲会の魅力や看護を語れる人材を育成できるよう、看護部長たちの協力を得ながら、より良い教育体制の構築を目指していきます。

徳洲会に入職し、あっという間に28年が過ぎました。辛く大変な時期もありましたが、支えていただいた多くの仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。徳洲会が大きな組織に成長し、より良い形に変化し続けているのは“生命だけは平等だ”の理念の下、職員一人ひとりが努力してきた結果に尽きると思います。「千里の道も一歩から」。

皆で頑張りましょう。

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