直言
Chokugen
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直言 ~
立川 隆光(たちかわたかみつ)
茅ヶ崎徳洲会病院(神奈川県) 院長
2024年(令和6年)04月22日 月曜日 徳洲新聞 NO.1437
私は日本で一番長いアーケード商店街がある大阪の天神橋筋商店街で育ちました。医師を目指したきっかけは、高校3年生の時に肝炎を患い、3週間ほど入院した経験からです。発症当初は全身に黄疸も出て、体力自慢の身体が全く動かなくなり、緊急入院しました。三日三晩、寝たきりで、死の恐怖も味わいました。毎日の回診で医師から採血データや超音波の結果を聞く度に、まるで今後の人生が決まるかのごとく一喜一憂しました。この時、医師の言葉の重さと責任、治療への感謝、また憧れが強くなり、医師の道を目指すべく勉学に励みました。
滋賀医科大学に入学した矢先、今度は父が脳出血で倒れ、その介護や家計の問題で、大学在籍が厳しい状態に直面しました。幸い授業料免除や奨学金などを利用し、何とか医師になることができました。卒後は東京大学医学部附属病院で2年間研修し、その後、関連病院をローテーションしながら卒後8年目で、千葉西総合病院に泌尿器科部長として着任しました。初めて民間病院に赴任した私にとって、徳洲会グループは衝撃的でした。毎日の8時会で理念の唱和と部署発表。自由に診療ができ、最新の医療機器を購入してもらえ、公的病院では難しい時間外の入院や緊急手術なども、スムーズに対応してもらえたことなどです。
責任のある部長として赴任してきたこともあり、実績を出そうと、外来数や手術件数にこだわりました。自由にできる分、病院や組織から、また地域の患者さんから必要と思ってもらえる泌尿器科にしたかったのです。地道な努力でしたが、仲間や後輩も増え、グループではトップ、千葉県の基幹病院の中でも有数の手術件数を誇るまでになりました。その後、副院長を10年勤め、2018年4月に茅ヶ崎徳洲会病院の院長を拝命しました。
当院は茅ケ崎駅から徒歩5分と至便で、玄関を入ると、ガラス張りの吹き抜けがあり、光庭によって院内は明るく綺麗です。6階の職員食堂からは、江の島や湘南の海が見晴らせ、昼食も楽しみになります。こんな病院で働けることに期待が高まりました。
しかし経営は苦しく、近くに大きな基幹病院が多くあり、まだ築2年で知名度が低いせいか、病床がなかなか埋まらない状態でした。また、大和徳洲会病院が新築オープンした時期であり、当院に出向していた医師や職員が、多数戻ってしまったことも、追い討ちをかけました。病床占有率は半分まで落ち込み、外来、手術も減って、当直する医師もおらず、まさに、どん底からのスタートでした。まず病床を埋め救急を充実、手術件数を増加させることから着手しました。毎年、課題を決め、新たな科を増設、新入院を増やし、HCU(高度治療室)を立ち上げたりし、何とか経営も安定してきました。2年以内に黒字化すると目標を立てましたが、実際には丸3年かかりました。昨年やっとのことで、満床、オーバーベッドも経験し、3年連続で最終利益を黒字化できました。急性期病院にしては、1人当たりの診療報酬が低かったり、季節により入院占有率が大きく変動したり、平均在院日数が突然伸びたりと、まだまだ課題も多く残ります。今後の伸び代と思って、日々悩みながら精進しているところです。“患者ファースト”で、地域の皆さんに「受診、入院して良かった」と言っていただけるよう、そして地域になくてはならない病院にすることが最大の目標です。院長として6年間、接遇にも力を入れました。他院から移られた患者さんに「受け付け対応が良い。職員が優しい」と、お褒めの言葉をいただけるのが、良かったと思える瞬間です。私の思いを理解し、支えてきてくれた職員の皆さんにも深く感謝します。
この地域に根差すためにも、インフルエンザ、新型コロナワクチンの推奨、発熱外来、医療講演や病院祭などを継続し、病院の知名度を上げ地域に貢献してまいります。大好きなサザンオールスターズの10年ぶりの茅ヶ崎ライブにも、医療班として連日参加させていただきました。大学が滋賀であることから、近江商人の言葉を引用させていただきます。「患者さん良し、職員良し、地域の社会貢献良し」、三方良しが理想であり、理念と思っています。
皆で頑張りましょう。