直言
Chokugen
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直言 ~
三角 和雄(みすみかずお)
医療法人徳洲会 専務理事 千葉西総合病院 院長
2022年(令和4年)11月14日 月曜日 徳洲新聞 NO.1364
「リスカル」もしくは「ルイスカリ」と聞き、ピンとくる人は徳洲会全職員4万人弱の中でも、ほとんどいないのではないでしょうか。この言葉を知る可能性がある当院職員たちに聞いたところ、年配者1人だけしか知りませんでした。これは1964年の東京オリンピックで、「東洋の魔女」と呼ばれた全日本女子バレーボールチームと戦った旧ソ連のエースアタッカー、インナ・リスカル選手のことです。当時、小学1年生の私は家族と共に白黒テレビに釘付けとなり、決勝戦を見つめていましたが、「強打リスカル」を何回聞いたことでしょうか。日本はソ連に僅差で勝ったのですが、その時の監督は「鬼の大松」こと大松博文監督でした。
大松監督は旧陸軍軍人(少尉)で、悪名高きインパール作戦から奇跡的に生還した一人です。この作戦は陸軍の無能な指導者たちが立案した荒唐無稽な作戦で、食料、弾薬の補給を無視した結果、おびただしい数の日本兵が戦いではなく、飢餓、病気などで次々と死亡し、その道程は「白骨街道」と呼ばれました。その一方で、指導者たちは前線ではなく、後方の安全地帯で贅沢三昧。このような指導者が日本を敗北に追いやる原因のひとつとなったのです。その作戦を生き抜いた大松監督が、最高の指導者となって日本チームを率いました。体力的に劣る日本がリスカルの強烈なスパイクに対抗するため編み出したのが、有名な「回転レシーブ」でした。この画期的な防御法により、175連勝の金字塔を打ち立てたのです。
組織は一人の指導者によって大きく変わります。ロシアのウクライナ侵攻を見ても明白です。独裁者が歪んだ思想や誤った根拠をもとに判断し、常軌を逸した行動を取ると、どんな組織であっても、いかに現場が頑張ろうと、良い結果は生み出せません。私が米国での留学、研修、循環器科専門医としての活動を終え帰国した時、技術を際限なく発揮できる施設認定を取得していたのは、低レベルの大学病院ではなく当院でした。それを実現したのが徳田虎雄理事長(現・名誉理事長)です。学生時代に一度、講演に来られ、二度目にお会いしたのは97年11月。札幌のホテルでの立ち話で「ワシはあんたに賭けることにする。千葉西をよろしく。循環器部長でな」と言われました。その1カ月後に入職し、その後、紆余曲折があり研修医を自前で集め育てました。私が入職した当時の医師のうち、現在残っているのは2人のみ(産婦人科の森山修一顧問と小児科の金鍾栄副院長)。46歳の時、気が進まないながらも院長を拝命し、1年間という約束がすでに18年間になっています(詳しくは拙著『トップ病院への軌跡』に)。その間、心臓カテーテル検査を日本一のレベル・症例数に引き上げるため、「どうしてこんなことが可能だったのだろう」と思うくらいに、日々努力しました。当院は現在680床、医師数150人となり、循環器科、心臓血管外科をはじめ各診療科も充実するようになりました。
今年6月、東上震一先生が理事長に就任されました。東上理事長は、そのバイタリティーがややもすると見当違いな誤解を生むこともありますが、非常に真面目な熱血漢で、心臓血管外科医としても超一流です。「名選手は必ずしも名監督ではない」との言葉がありますが、医療現場を知らない医師が、いきなり病院経営という難しい課題を与えられた時、果たしてうまくいくでしょうか。私の経験では大学教授など学問的に優れた人は、当院の例では必ずしも良い院長、良い経営者ではなかった気がします。逆に現場を知り尽くした叩き上げの医師は、どこをどうすれば良い医療になるか、どこを改善すれば健全な経営ができるか、見通すことができます。東上理事長は各病院を隈なく回っており、理事長就任前には自ら進んで2カ月間、離島病院の院長を経験されました。そこでは「見えてこなかったものが、見えてきた」ということですが、それは非常にわかるような気がします。私は体力と知力の続く限り、当院を守り、徳洲会病院を応援しながら東上理事長がいかに徳洲会という日本一の医療法人を切り盛りしていくか、サポートしながら見ていこうと思います。
皆で頑張りましょう。