直言
Chokugen
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直言 ~
棟方 隆(むなかたたかし)
医療法人徳洲会 専務理事 帯広徳洲会病院(北海道) 院長
2022年(令和4年)09月26日 月曜日 徳洲新聞 NO.1357
私と徳洲会との出会いは1978年、母校・旭川医科大学5年生の時の講義室でした。八尾徳洲会病院(現・八尾徳洲会総合病院)が開設された直後で、徳田虎雄理事長(現・名誉理事長)が卒後研修の説明のために来校されました。眼光鋭く迫力ある人というのが、第一印象でした。その後、徳洲会との関わりはほとんどなく、母校の外科教室に入局し、大学を中心に臨床・研究・教育に専念しました。98年に出身教室の助教授となり、臨床と共に大学の教育改革や卒後臨床研修プログラムの作成などを行っていましたが、次第に大学での仕事に限界を感じ始めました。2000年、札幌徳洲会病院の江端英隆院長(現・社会福祉法人彩世会理事長)から「帯広に新しい病院をつくるので院長にならないか」とお誘いがあり、真っ白なキャンバスに絵を描ける面白さを感じ、新しいことにチャレンジしたいという気持ちも手伝って、迷うことなくお引き受けしました。
開院当初は医師が少なく看護師募集にも苦労し、厳しい立ち上げでしたが、徐々に軌道に乗り、リースの返済が終了する頃には20%程度の医業利益を出せるようになり、経営は落ち着いてきました。つねに心掛けたことは、病院とは地域の皆さんに利用していただき、支えていただくものである、職員一人ひとり(とくに医師)に経営参加意識をもってもらうことでした。外来に来られた患者さんが病院の玄関を出られる時に、好印象をもち、具合が悪くなったら、またここに来ようと思っていただけること、入院患者さんやそのご家族に、この病院で良かったと感じていただけることが何よりも重要と考えました。
徳洲会グループは1973年の徳田病院(現・松原徳洲会病院)に始まり、75年に医療法人徳洲会が設立され、急速に病院建設が進みました。2001年には当院を含め4病院が新設されています。その後も拡大を続けましたが、選挙違反事件を契機に理事長が交代し、鈴木隆夫先生、安富祖久明先生、そして理事長選挙制度が整備され、東上震一先生が理事長に選任されました。現在では、多くあった医療施設運営法人も一本化され、73病院を含め約400施設を運営しています。
新型コロナ感染症が暗雲のように全世界を覆い、徐々に明るい兆しが見えては来ましたが、厳しい状況は続きそうです。コロナ感染症が2類相当から解除される可能性が高く、そうなれば全病院がコロナ感染症を発熱外来で診療、陽性者の入院病棟も整備する必要があります。今後、流行の状況は変化するため、感染症が落ち着いている平時の診療体制と、コロナが再流行した時の有事の診療体制を俊敏に切り替えることができる柔軟な病院運営が肝要です。当院では2病棟しかない状況で、陽性患者さんと疑似症患者さんを受け入れたため、1病棟でコロナ関連患者さんを、もう一つの病棟で急性期、回復期及び障害者の患者さんが混在する形となり、病棟運営が困難を極めました。現在は3病棟を整備し、急性期病棟と地域包括ケア・障害者病棟を運営しながら、プラスαの形でコロナ関連患者さんを受け入れる体制を整備しました。
今後はウィズまたはポストコロナの医療・介護を考え、将来の方向性を見据える必要があります。医療・介護領域で10年から20年で徐々に起こる変化が、この数年で起こるとも言われています。今後の病院運営の基本は①受診控えが進むため、患者さんが集まる病院を目指す、②対面診療を基本としながらもオンライン診療の併用を進める、③医療機関の再編や統廃合を視野に置く、④5Gなどテクノロジーを用いた医療に対応する、⑤新たな流行に備えた事業継続計画(BCP)を整備する――などです。我がグループでは①超規模・大規模及び中小規模の病院がそれぞれの地域での役割を詳細に検討し、グループ病院の連携サポート体制を進める、②地域包括ケアシステム構築を含め地域社会に貢献する、③徳洲会のビッグデータを利用した臨床研究を進める、④国際医療貢献をさらに進める、⑤TMAT(徳洲会医療救援隊)などによる災害医療活動は機を逸せずに実行する――などが重要となります。これからも〝医療は患者さんへの奉仕〟であることを念頭に、皆で頑張りましょう。