徳洲新聞ダイジェスト

Tokushukai medical group newspaper digest

2025年(令和7年)03月03日 月曜日 徳洲新聞 NO.1481 4面

能登半島地震から1年経過
各地で活動報告や防災啓発
TMAT

2024年元日に発生し、石川県能登地方を中心に甚大な被害をもたらした「令和6年能登半島地震」。死者数は500人を超え、今なお災害関連死の認定により、その数は増えている。発災から1年が経過し、各地で同災害から教訓を得ようとする活動が活発化、実際に被災地で支援したNPO法人TMAT(徳洲会医療救援隊)も当時の活動報告などを通じて協力。1月に厚生労働省厚生労働科学特別研究事業による「令和6年能登半島地震 各保健医療活動チームの活動・連携に関する検証会」に参加し、昨年12月には鹿児島県の徳之島で開かれた防災研修会で講師を務めた。

検証会で発表する野口・事務局長。ハイブリッド形式で多くの医療従事者や関係団体が参加

TMATは令和6年能登半島地震発災直後から情報収集、協議し、2日後の1月3日から現地で支援活動を展開。輪島市ふれあい健康センターを拠点に、2月13日までの42日間に延べ94人の隊員をリレー形式で派遣、合計703人の診療を行った。

故郷の徳之島で講演する浅野看護師。体験したことを地元に還元し防災意識を醸成

発災から1年が経過し、各地で同災害を振り返る活動などが活発化するなか、今年1月11日に石川県金沢市で「令和6年能登半島地震 各保健医療活動チームの活動・連携に関する検証会」が開催。同災害での医療チームによる支援規模が過去最大のチーム数と最長の活動期間になったことをふまえ、今後の各種医療チームの連携などを検討する目的で、被災地を支援した13の団体・組織(表)が活動報告や課題を発表した。

輪島市ふれあい健康センターを活動拠点に(写真は巡回診療の場面)

TMATも参加し、野口幸洋・事務局長(一般社団法人徳洲会医療安全・感染管理部課長)が登壇。42日間に及ぶ活動を振り返り、発災直後の災害急性期から活動を開始し、前半は医療支援、後半は介護支援を主に行ったことを報告。具体的には、①仮設診療所の設置・運営(災害時診療記録による緊急医療支援)、②避難所内の巡回診療、③感染対策(ゾーニング支援)、④体調不良避難者の救急搬送(市立病院との連携)、⑤介護が必要な避難者(要支援者)のための専用避難所設置と支援――などを挙げ、写真とともに紹介した。

支援活動全体を通じて、石川県庁と輪島市双方の保健医療福祉調整本部、さらには地元の保健師やクリニックと密な連携が図れた点や、医療支援から介護支援にニーズがシフトした段階で派遣するメンバー構成を変えるなど、フレキシブルな対応ができたことを強調した。

また、福祉避難所に指定されている地域の介護施設などが機能不全に陥り、TMATの活動拠点、輪島市ふれあい健康センターが臨時要支援者避難所として、他の避難所の要支援者を受け入れたエピソードを披露。課題としては「中・長期的な介護ニーズへの対応」を挙げ、具体的には「長期的な“チーム”としての派遣」、「引き継ぐべき団体・機関の確保」を示した。

閉会後、野口・事務局長は「今回、急性期の医療支援から介護支援のニーズにまで、継続的に対応したことを高く評価していただきました。隊員をはじめ、かかわった方々に感謝しています」と吐露。「今後も、いち早く被災地に入り医療・介護の多様なニーズに対応するTMATの良さを生かし、関係機関と連携しながら被災された方をサポートしていきたいと思います」。

離島の徳之島でも高い関心

昨年12月18日には徳之島徳洲会病院の浅野京香看護師が徳之島で行われた「令和6年度防災研修会」(天城町主催)で講演した。テーマは「能登半島地震に学ぶ」。研修会には、地元の役場や自主防災組織、女性連絡協議会、社会福祉協議会、消防組合など各関係者、保健師、一般の方など80人超が参加した。

地元のクリニック関係者に活動報告を行う野口・事務局長(左)

浅野看護師は本隊第6陣のメンバーとして、同1月30日~2月5日に輪島市で行った支援活動を紹介。看護師として、主に熱傷や褥瘡を悪化させないための処置や環境整備などに取り組んだことを説明した。

避難者の処置を行う浅野看護師

平時とは異なる限られた環境のなかでは、さまざまな工夫が求められるとし、地域の訪問看護師と連携したり、徳洲会グループの訪問看護師に相談したりしたエピソードを披露。褥瘡を悪化させないために、実際に現地で行った紙おむつを利用したジェルクッションのつくり方も提示した。また、「災害関連死」にも触れ、とくに高齢の方に対して注意喚起。避難時は診療だけでなく、リハビリテーションや介護も重要な点を指摘した。

先遣隊を含め14隊を能登に派遣(後列右から3人目が浅野看護師)

これらをふまえ、浅野看護師は今回の活動を①発災から1カ月が経過し、地域医療が再開しつつあるなか、自分たちの撤退を視野に入れた“急性期とは違う”難しいフェーズでの活動だった、②現地にあるものを、現地のやり方で撤退後も引き継げる活動が大切だと感じた、③看護師人生で、とても貴重な経験になった――と総括した。最後に、災害への備えとして自助、共助、公助を、それぞれ解説した。

講演後、参加者からは、「TMATが行っている研修や地域の防災訓練の有無」、「石川県の受援(援助を受け入れる)体制・環境」など、さまざまな質問が寄せられ、関心の高さがうかがえた。浅野看護師は「島から能登の支援に行ったことに驚かれた方も多く、『頑張ってきたんだね』とねぎらいの言葉をいただきました。今回、体験したことを伝えることで、私の生まれ故郷でもある徳之島が少しでも災害に強くなれたらうれしいです」。

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