徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

徳洲新聞ダイジェスト

Tokushukai medical group newspaper digest

2024年(令和6年)12月16日 月曜日 徳洲新聞 NO.1471 4面

徳洲会「回顧この1年」㊥
徳田虎雄・名誉理事長が逝去
離島・へき地医療などに尽力

巨星堕つ――。7月10日午後8時15分、徳洲会グループ創設者の徳田虎雄・名誉理事長(86歳)が逝去した。医療改革を目指し徒手空拳で、民間最大の医療グループを築き上げた。徳田・名誉理事長は、1973年1月に徳洲会病院第一号の徳田病院(現・松原徳洲会病院)を開設したのを皮切りに、北海道から沖縄県まで全国各地に医療・介護・福祉施設を展開。とりわけ離島・へき地医療、救急医療、国際医療協力に心血を注いだ。

86年の生涯を駆け抜け、多くの功績を残した徳田・名誉理事長

徳田・名誉理事長の原点は幼少期に遡る。兵庫県に生まれ、ほどなくして鹿児島県の離島、徳之島に移住。小学生の時分、弟が夜間に発病、暗い山道を走り医師に往診を頼んだものの応じてもらえず、弟は息を引き取った。この時の怒りや悲しみ、恐怖心によって、自ら医師となり最善の医療が受けられる病院を全国につくることを決意、“生命だけは平等だ”の理念と、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」の実現を目指すという大方針を生んだ。

大阪大学インターン(修練生)時代の同級生とともに(後列右が徳田・名誉理事長)

35歳の若さで大阪府松原市に徳田病院を立ち上げた。資金の確保が難しかったことから、自らの生命保険を担保に金融機関から融資を受け、個人立の病院として開院。小規模ながら「年中無休、24時間オープン」、「断らない医療」を標榜し、とくに、たらい回しが社会問題となっていた救急医療の実践に腐心した。

その後も大阪に3病院、そして沖縄、福岡、京都へ立て続けに病院を開設。80年代には東日本に進出。神奈川を皮切りに埼玉、千葉、愛知、仙台、北海道と各地にグループ病院を開設した。都市部に展開することで人材を確保し、86年には悲願だった奄美群島に徳洲会グループ初の徳之島徳洲会病院(鹿児島県)を開設、その後も離島・へき地医療の充実に尽力した。94年にはグループ初の介護老人保健施設を沖縄につくった。

災害医療や国際医療協力にも積極的に取り組み、95年の阪神・淡路大震災を契機にTDMAT(徳洲会災害医療救援隊)を立ち上げ、現在、その後継のNPO法人TMAT(徳洲会医療救援隊)が国内外で活動。「世界の厚生省になる」という目標を掲げた国際医療協力では、東南アジアやアフリカを中心に透析機器の寄贈や透析センターの開設支援、病院開設支援などに邁進した。

そのかたわら医療改革を目指し国政に参加。90年代から2000年代にかけて衆議院議員を通算4期務めた。96年には日本体操協会会長に就任、低迷していた体操ニッポンの復活に奔走するなど、多岐にわたり獅子奮迅の活躍を見せた。

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