徳洲新聞ダイジェスト
Tokushukai medical group newspaper digest
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2024年(令和6年)07月29日 月曜日 徳洲新聞 NO.1451 4面
体操ニッポンの復活を目指し、日本体操協会会長に就任
1996年に日本体操協会の会長に就任した徳田虎雄理事長(当時)は、オリンピックで金メダルを獲得するには、協会の改革が必要と考えた。そこで古参を含む理事の一新を企図。協会の会議は密室で行うのが常だったが、徳田理事長はメディアに公開して理事会を開き、約5時間に及ぶ激論の末、青壮年による新体制を築き上げた。
98年、体操ニッポンの復活と一流の人材育成を目指し、徳洲会体操クラブを創設。04年のアテネオリンピックの日本代表には、同クラブ所属の米田功選手と水鳥寿思選手が選ばれた。アテネに向けて出発する前、両選手らは徳田理事長を訪れた。徳田理事長は「限界を少し超えたところに金メダルはある。金メダルをつかむつもりで鉄棒をつかめ。何が何でも金メダルを取ってこい」と激励。日本は28年ぶりに男子団体総合優勝を果たした。
徳田理事長は「人生はスポーツと同様、『心・技・体』の順で大切。心を健全に保ち、技術は努力で高め、肉体的にも良い生活習慣をもつよう努力すべきです」という言葉を残している。