直言
Chokugen
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直言 ~
畔栁 智司(くろやなぎさとし)
岸和田徳洲会病院(大阪府) 副院長 心臓血管外科 主任部長
2021年(令和3年)8月16日 月曜日 徳洲新聞 NO.1300
初めて「直言」執筆の機会をいただきましたので、自己紹介や日頃から考えていることなどを書いてみたいと思います。何分不慣れなため、乱文お許しいただければと存じます。
2002年に滋賀医科大学を卒業し、心臓血管外科医を目指して、ひたすらに毎日、目の前の課題に取り組み続け、現在に至ります。小学生の頃、叔父が心臓手術を2回受け、その後もずっと叔父を近くで見てきました。とくに2回目の時は、30年以上前の心臓再手術でしたから、かなり厳しい手術だったようで、夜中に父親が献血に行ったのを覚えています。その後は、最近、他疾患で亡くなるまで、社会復帰して生活できていました。
「心臓血管外科の病気は、厳しい状況であっても自分たちが救える」。折に触れて、心臓血管外科医が発する言葉ですが、私もそう信じ、ずっと治療に取り組んでいます。
初期研修は滋賀医大医学部附属病院で行いました。「諦めたら終わりだ。決して諦めるな!」。ここで指導いただいた浅井徹教授に言われた言葉です。私の基本は、まずはここでつくられました。毎日ただ必死でした。
3年目に岸和田徳洲会病院に赴任しました。東上震一総長(医療法人徳洲会副理事長)の下では、現在まで脈々と続く“岸和田スタイル”を刷り込まれました。「救急車で迎えに行き、どんな重症でも必要ならすぐ手術。何が起きても、しつこいくらい諦めない」。これが岸和田システム(スタイル)の真髄だと思っています。医師になって最初の5年間がこうして過ぎていきました。ひたすらに目の前の仕事をしただけでしたが、私の基本スタイルがたたき込まれた5年間であったと思います。
その後、心臓血管センター金沢循環器病院と滋賀医大を経て、再び縁あって12年目に当院に帰ってきました。金沢循環器病院で腹部大動脈を含む末梢(まっしょう)血管外科を学び、滋賀医大でもう一度、浅井教授から手術を学んで戻ってきました。この時、東上総長から少しずつ手術を任せていただけるようになりました。ある時、「大丈夫だから、やってみてごらんよ」と言われ、正直、驚いたのと同時に、すごくうれしかったのを覚えています。その後、徐々に任せていただける手術が増えていき、気が付いたら現在の姿になっていました。
35年以上続く当院の心臓血管外科を引き継ぐのは、すごく光栄で、快いことでもあります。ただ、維持していくのは、なかなか大変で、手術症例を減らすわけにはいきませんし、仲間も増やさなければなりません。しかし、特別な方法があるわけでもなく、地道に目の前に現れる課題に取り組むのみだと思っています。「断らない。成績には、しつこいくらいに拘(こだわ)る。意地でも諦めない」。これだけを守っています。「重症例、緊急例は岸和田へ」という近隣の病院からのご支持もいただき、当院の通算の開心術が近く1万例に達します。これからも岸和田スタイルは決して変わりません。
世の中は、目まぐるしく変化しています。岸和田スタイルは決して変わってはいけないのですが、維持していくためには、つねに進化もしないといけません。手術では、小開胸の心臓手術やステントグラフト(人工血管)内挿術、循環器内科と共に行う経カテーテル的大動脈弁置換術(TAVR/TAVI)など、新しい治療法を導入しています。TAVRや末梢血管の治療などでは、いわゆるハートチームによるさまざまなアプローチをもつことにより、これまで成し得なかった治療が可能になっています。
多職種連携が進み、チーム医療もかなり進んできています。ほかの診療科との連携をもっと進めると、もっと違う視点が見えてくるのかもしれません。徳洲会グループ内でも、いろいろな連携が進めば、もっと新しい方法論が生まれてくる可能性があると思います。当科も徐々に仲間が増え、他院に少しずつ赴任する医師も出てきました。
何かを成すために最も大切なのは、人の力です。さまざまなタイプがいるからこそ、強いチームができると考えています。型にはまる必要はありません。いろいろな夢が重なって、方向性をもった時、最高のチームができるはずです。まずは自分の夢に向かって、皆で頑張りましょう。