徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

井上 太郎(いのうえたろう)岸和田徳洲会病院(大阪府) 副院長兼内視鏡センター長

直言 生命 いのち だけは平等だ~

井上 太郎(いのうえたろう)

岸和田徳洲会病院(大阪府) 副院長兼内視鏡センター長

2021年(令和3年)1月25日 月曜日 徳洲新聞 NO.1271

人を集め育て地域医療のみならず
離島・へき地医療にもさらに貢献
全国各地で月間延べ日数200日超の応援診療

徳洲会病院を知ったのは、たまたま実家の近くに福岡徳洲会病院があったからです。大学時代は明確な目標もなく、何となく医師になるのか、と流れのままに過ごしていました。徳洲会という組織にも離島医療にも、とくに興味もなく何も知らずに同院に研修医として入職しようかと考えていた頃でした。「鹿児島県の離島、奄美大島の病院に1年間行くプログラムがあるんだけど……」と同院職員から言われた時のことは今でも忘れられません。学生時代、ずっとサーフィンをしていたことから、奄美大島は行ってみたい場所のひとつでした。「研修もサーフィンもできるとは何と幸運なんだ!」と思い、「奄美大島に行けるなら徳洲会に入ります」と、その場で志望しました。

離島病院で深夜に急患 「血液製剤がない‼」

離島と福岡とを半分ずつ過ごした初期研修もあっという間に終わり、離島での経験から、どんな疾患でも対応できるように、同院救急診療部で後期研修を行うことにしました。医師として診療に対する責任の重みも感じ始めていた頃、鹿児島県の離島にある喜界徳洲会病院に3カ月間、研修に行きました。ある日の深夜、救急車が来ると連絡が入りました。当直医は自分1人、あとは小児科の院長と初期研修医1人のみ。そんななか、ショックバイタル(血圧低下)の50代男性が吐血で救急搬送されて来ました。Hb(ヘモグロビン)値は3・0。すでに意識はやや混濁しており、初期輸液を行いながら「すぐに輸血の準備を!!」と看護師さんに伝えましたが、どうも雰囲気がおかしい。そうです。そもそも離島に血液製剤などは常備していないのです。愕然(がくぜん)としました。都会なら輸液、輸血などを行いながら緊急内視鏡止血です。何も迷うことはありません。しかし、ここではそうはいかないのです。私は多少経験のあった緊急内視鏡を施行しましたが、見えるのは胃内から噴出する血液だけで、止血は不可能、即終了でした。

出血性胃潰瘍と診断、沖縄県から自衛隊ヘリを呼び、転送という手段を取らざるを得ないと判断しました。すぐ要請するも到着は3~4時間後とのこと。それまで何とかしようとあがいていたところ、朝5時頃、なんと島の方々がぞろぞろと病院に押し寄せているではないですか。「私の血液型はA型です。使ってください!」と。どこか違う世界にタイムスリップしたかのようでした。こんなテレビドラマを地で行くようなことがあるのか? 生血輸血なんて昔の話では?「そんなの無理だ!」と思いました。しかし、看護師さんから「先生、島ではこうやって命を繋(つな)いでいるんです」。そう言われ、患者さんのご家族から同意を取り、血液型合わせと放射線照射のみ実施し、生血輸血を行いながら何とかバイタル(生命兆候)を保ち、日も昇った頃、ようやくヘリが到着して搬送。搬送先は初期研修を行った奄美大島の名瀬徳洲会病院でした。そこにいたのは岸和田徳洲会病院消化器内科の先生でした。「大変だったね。お疲れさま。井上先生も内視鏡見ていきますか?」と声をかけていただきました。やはり胃潰瘍からの出血でした。止血にかかった時間はわずか数秒。高周波でバシッと焼いてピタリと止まりました。

「離島に技術を運ぶ」 心に強く期した瞬間

このひと晩は一体何だったんだ。生血輸血を行い、自衛隊ヘリを呼び。都会では〝ただの胃潰瘍〟です。その時、思いました。私にこの内視鏡止血技術があったらと。生血輸血もヘリも必要なかったはず。最初は、サーフィンができる離島研修につられて入職した徳洲会でしたが、そこで感じた医療格差の現実、何気なく当たり前と思っていたことが当たり前でない状況。私が「離島に技術を運ぶ」と心に決めた瞬間でした。

間もなくして岸和田病院の門をたたきました。最初は幅広く症例を経験するため救急に、その後は内視鏡のスペシャリストへとかじを切りました。現在、我々のチームは常勤医27人、離島・へき地のみならず医療支援が必要な全国各地で、月間延べ日数200日を超える応援診療を行っています。これからも徳洲会グループの基幹病院として、人を集め育て、地域医療はもちろん、徳洲会の原点である離島・へき地医療にもさらに貢献し、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」の真の実現のために尽力します。

一緒に頑張りましょう。

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