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直言

Chokugen

寺田 康(てらだやすし)庄内余目病院院長(山形県)

直言 生命 いのち だけは平等だ~

寺田 康(てらだやすし)

庄内余目病院院長(山形県)

2020年(令和2年)9月7日 月曜日 徳洲新聞 NO.1252

離島・僻地でオンライン診療は大きな助け
しかし現場での医療者の代わりにはならず
臨床医 ・ 臨床研修の「臨」=臨む大切さを問う

怪談「職員トイレの闇」――。

それは数年前の豪雪の冬、12月の朝のことです。地元の温泉の朝風呂に入り、6時40分頃、病院に着きました。

総じて一般の人が使わない職員トイレは、建物の奥にあり窓はなく日は当たりません。総務課の筋向かいにある真っ暗な職員トイレのドアを開け、左側の壁にあるスイッチを入れ電気をつけました。

ふと見ると大用の個室のひとつが「使用中」になっていました。あれ?誰かいるのかな?と思ったその時です。カラカラカラカラと中からトイレットペーパーを巻き取る音がしました。

トイレから出る時、電気はつけたままにしておきました。

その同じ冬の2月末の朝、外来応援に行った山北徳洲会病院(新潟県)でも同じ体験をしました。

道路の雪の状態が良く7時20分頃に病院に着きました。

医局の筋向かいの真っ暗な職員トイレの電気をつけて中に入ると、個室のひとつが「使用中」になっていました。中に人の気配がしません。おかしいな……。意を決しドアをノックしました。

トントントン、それとほぼ同時にドンドンドンと中から激しくドアをたたく音が返ってきました。思わず「あっ、失礼」。用を足して電気はつけたままトイレから出ました。

冬の早朝、トイレの最中に電気を消されて真っ暗な中を次の人が入ってくるまでじっと待つ。電気を消されたら「消すな」とか「入ってま~す」とか、言わないのかな?と、ずっと考えていました。

考察です。前述の背景には、どうしたら春が来るか?の問いに、「待つ」では不合格、「じっと待つ」でも不十分、「じ~っと耐えて待つ」が正解という冬の日本海に面した東北の僻(へき)地の風土があるのです。この考察は地元の温泉の常連たちからも賛同を得ました。んだんだ。

これを理解できるまでに10年近い歳月が経過しました。

新型コロナの感染拡大により医療の変化・時代の変化痛感

新型コロナウイルス感染の拡大は生活スタイルをも変えようとしています。医療現場も然りです。オンライン診療、WEB会議、WEB開催の学会などがそれです。遠隔で画像を介した診察、カンファレンス、討論など時代の変化を痛感しています。

しかし実際にやってみると、それなりに新鮮味があります。離島・僻地医療にこそ、専門外来のオンライン診療、電子カルテを共有した病院間の遠隔カンファレンスなどは、診療の大きな支えとなるのではないでしょうか。

医療の原点は徳洲会が提供する離島・僻地医療にあり

当院では提携した都内の大学病院から地域医療研修で初期研修医を受け入れています。初期研修2年目の研修医で研修期間は1カ月と短く、また派遣も単発ですが、今年は希望者が3人いました。

この6月、中部徳洲会病院(沖縄県)からの離島・僻地研修医と、大学病院からの地域医療研修医を2人受け入れました。毎年1歳ずつ平均年齢が上がり、高齢化している当医局にあって、卒後2年目の2人の研修医が放つ若さは強烈でした。若い人はいいです。そこにいるだけで何もしなくても若いのですから。

そして驚いたことは、各々研修内容は異なっていても、診療に慣れ意気投合するのに半日かかりませんでした。僻地医療の現場は経験や考え方が異なっていても、まずは協力して弾の飛んでくる方向に銃を向けなければ全滅してしまう戦場に似ているのでしょう。偏った情報、役に立たない知識、少ない臨床経験、不十分な医療資源のなかで、目の前の患者さんを助けるには力を合わせるしかないのです。

離島・僻地医療でオンライン診療は大いに助けにはなるでしょうが、現場で医療に従事する人たちの代わりにはなりません。オンラインでは臨床医、臨床研修の「臨」がない、臨場感の臨=臨むがないのです。

暗い鉛色の冬の日本海の画像をいくら見ても、寒さ、厳しさは伝わらないし、体験できません。冬、トイレに入って電気を消されても闇の中で次の人をじ~っと耐えて待つ東北の病院職員のために、「トイレの電気の消し方マニュアル」を作成して僻地医療を理解した気持ちになる――そんな野暮なことはやめましょう。

離島・僻地医療は徳洲会が提供する医療の原点です。

皆で頑張りましょう。

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