直言
Chokugen
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直言 ~
井上 和人(いのうえかずと)
大日徳洲会病院院長(千葉県)
2018年(平成30年)9月24日 月曜日 徳洲新聞 NO.1152
私は大阪市で生まれ、その後は兵庫県の伊丹(いたみ)市で過ごしました。進学先を神戸大学にしたのは、同じ兵庫県ということだけでなく、ある思惑があったからです。それは、東京などで下宿すれば費用が多くかかりますが、県内なら費用を抑えられ、小遣いが増えるという読みでした。結果は親に叱られただけでした。
神戸大学では、心臓血管外科を選択しました。理由は、学生時代に見た同科の中村和夫教授の手術が美しく、術後の経過が良かったからです。ところが心臓血管外科を選択した同級生は、前後の学年を合わせると40人ほどにもなり、兵庫県内に同科を置く病院は5カ所。大変な競争になると思っていた矢先、「これから肝臓外科が脚光を浴びてくるから、そちらに進んではどうか」とのアドバイスを先輩から受けました。
当時、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)は全国から研修医を受け入れていました。私は幕内雅敏(まくうちまさとし)先生にあこがれ同センターでの研修後、シニアレジデントを経て同センターに入職しました。
医局を離れることが許されない時代でしたが、神戸大学の医局からも応援していただきました。幕内先生は人柄も技術もずば抜けていました。
信州大学に移られた幕内先生は、世界初の成人生体肝移植を成功させ、世界の肝臓外科を新たな時代に導きました。
私は国立がんセンター中央病院、同センター東病院で肝臓外科の治療に邁進(まいしん)しました。がんセンターの先輩にあたる高山忠利(ただとし)・日本大学教授からお誘いがあり、准教授として就任。
さらに幕内先生が東京大学を退官後、院長として日本赤十字社医療センターに勤務されたので、私も後を追うようにそちらに移りました。そして幕内先生の退職に際し、行徳中央病院に外科部長として赴任しました。
私自身にとって中規模病院の外科部長という立場は、少し中途半端な存在に思えました。病院四役であれば、病院の方向性を決めて引っ張っていくことができるのではないか。そんな思いがありました。大日病院の院長にとのお誘いを受けたのは、その頃です。院長として腕を振るってみたいと思いました。
当院の診療科は内科、外科、消化器内科、整形外科、リハビリテーション科で、一般病床が68床、療養病床が54床の病院です。徳洲会の鈴木隆夫理事長からは「病院の存在意義を確立し、地域の医療に励んでください」と言われました。現在、医師は常勤3人、看護師は14人です。
今の私に課せられているのは、いかに当院を継続させるかということです。当院は今年6月に徳洲会グループに入りましたが、給湯、空調、防火、非常用電源などの基本的な設備をはじめ、さまざまな医療器械、備品の整備から始めている状況です。すべての部署でマンパワーも不足しています。私の専門を生かすためにも新たに手術室を構築したいのですが、大きな費用がかるため、難しいのが現実です。そのため、地域の皆さんや患者さんに当院を好きになって来ていただくしかありません。
地域の方から「かかりつけ医」が見つからないという話をよく聞きます。私は過去の職歴を通じ、患者さんに携帯電話の番号を教えて、「何か異常があれば、24時間、いつでも私に連絡してください」という姿勢を貫いてきました。国立がんセンター時代から通っていただいている方もいて、それがひとつの方向性を示唆している気がします。つまり、当院を「かかりつけ病院」にしていただいてはどうかということです。
患者さんは、数時間待って数分の診療では物足りないはずです。当院に来ていただいて、医師や看護師などに困っていることを忌憚(きたん)なく話していただけば、満足されるはずです。
徳洲会グループの発足時、医師や看護師のマンパワーがあまりに足りなかったというお話をうかがいました。鈴木理事長が院長として勤務された茅ヶ崎徳洲会総合病院(現・湘南藤沢徳洲会病院)の開院時には、救急車が来るようになるまで半年かかったともうかがっています。
当院からは少し距離がありますが、同じ医療圏に複数のグループ病院があります。それらの病院と力を合わせ、患者さんのための医療に励みたいと考えています。皆で頑張りましょう。