徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

徳洲新聞ダイジェスト

Tokushukai medical group newspaper digest

2018年(平成30年)1月1日 月曜日 徳洲新聞 NO.1115 二面

徳洲会創立45周年記念企画
グループの軌跡をたどる

徳洲会グループは1973年1月の創立以来、「いつでも、どこでも、誰でもが、最善の医療を受けられる社会」を目指し、全国に医療・介護・福祉施設を展開。現在、70病院をはじめ診療所、介護老人保健施設、特別養護老人ホームなど計340施設を運営し、医療・介護・福祉サービスの充実に尽力している。国内にとどまらず国際医療支援活動も積極的に推進。これまでの歩みを振り返りながら、徳洲会の多角的な取り組みを紹介する。

“医療・介護・福祉・国際医療 協力・災害医療活動にまい進

グループ第1号病院の徳田病院 グループ第1号病院の徳田病院

1973年1月、徳洲会グループ最初の病院として開設したのが60床の徳田病院(大阪府、現・松原徳洲会病院)。当時としては珍しい「24時間・365日、断らない医療」を打ち出し、日本の救急医療体制に一石を投じた。

その時代、日本の救急医療体制は現在のように整っていなかった。救急医療は不採算部門で、民間病院はおろか公立病院も次々と撤退。緊急手術を要する傷病でも夜間・休日は診療が受けられないことが多く、平日朝まで待てずに命を落とす患者さんもいた。

徳洲会はこうした医療事情を背景に「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」を目指す集団として誕生した。

徳洲会の“生命だけは平等だ”の理念は、グループ創設者の徳田虎雄・前理事長の幼少期の体験から生まれたもの。鹿児島県の離島・徳之島が故郷の徳田・前理事長は幼少期、弟の容体が夜間に急変した際、医師に往診を頼むも応じてもらえず、翌朝、弟は何の治療も受けられずに亡くなった。この時、「断らない医療」の必要性を痛感、自らが医師になることを決意した。

徳田病院の運営は当初から人員不足や資金不足などにより難航。しかし、他病院が休診しているなか、ひっきりなしに訪れる救急車に対応する職員らの姿勢に、徐々に協力者が増えていった。土地の取得や資金繰りなど各方面からのサポートを受け、75年に野崎病院(同、現・野崎徳洲会病院)をオープン。77年には岸和田徳洲会病院(同)、78年には八尾徳洲会病院(同、現・八尾徳洲会総合病院)を開設した。

大阪府以外に初めて開設した南部病院 大阪府以外に初めて開設した南部病院

同時期、沖縄県の無医村に病院を開設してほしいと地元から要望が出された。土地が決まり急ピッチで病院建設を開始。なかなか院長以下病院幹部(副院長、看護部長、事務長)が決まらないという苦労もあったが、79年、南部徳洲会病院を開設、地域の方々から歓待を受けた。同年、福岡県に福岡徳洲会病院、京都府に宇治徳洲会病院も立ち上げた。

関東に進出したのは翌80年だ。神奈川県に茅ヶ崎徳洲会病院(現・湘南藤沢徳洲会病院)が誕生。この茅ヶ崎病院と、前年の宇治病院の開院にあたっては地元医師会との軋轢(あつれき)もあった。

しかし、当時の武見太郎・日本医師会長が徳洲会の活動を擁護する発言をした。「(徳洲会の)新しい地域医療体制をつくろうという勇気には喝采を送りたい」とエールを送ったことから摩擦は次第に緩和。今では多くの徳洲会病院が医師会に加入し、ともに地域医療を支えている。

離島病院第1号開設

茅ヶ崎病院3周年記念式典。後方中央は当時の鈴木隆夫院長(現・一般社団法人徳洲会理事長) 茅ヶ崎病院3周年記念式典。後方中央は当時の鈴木隆夫院長(現・一般社団法人徳洲会理事長)

82年、徳洲会10周年を翌年に控えた記念事業として、奄美大島と徳之島に徳洲会が委嘱した医療相談員を置く「医療相談員制度」がスタート。制度を徹底・浸透させるために両島を中心に講演会・説明会も開いた。この頃はまだ奄美群島の患者さんは、定期船に乗って南部病院を訪れていた。

続いて83年に北海道でグループ初となる札幌徳洲会病院を開設。そして86年には満を持して離島での第一号病院、徳之島徳洲会病院を開設した。地鎮祭には島の人口の3分の2近い2万人以上もの島民の方々が参加。同院はこれまでの離島医療という概念を根底から覆し、最先端の医療機器を備え、グループ病院の支援を受け高度な医療を実践した。また、島中に無料送迎バスを巡回させ患者さんを運んだ。

徳田・前理事長は当初から故郷の徳之島に病院を建設することを目標としていたが、いきなり離島に病院をつくっても運営は維持できない。そこで都会に開設した病院から医療者らを離島病院に応援に出すと同時に、スケールメリットを生かした薬剤や医療機器の共同購入によりコスト削減も図るという独自の運営スタイルを考案した。

90年に沖永良部徳洲会病院(鹿児島県)、91年に喜界徳洲会病院(同)、96年に与論病院(同、現・与論徳洲会病院)など、その後も徳洲会は鹿児島県と沖縄県の離島などに病院をつくり続けた。現在、離島病院は10病院に及ぶ。89年に開設した加計呂麻徳洲会診療所など離島診療所も数多く立ち上げた。離島のみならず、へき地医療の充実も図ってきた。90年の静仁会静内病院(北海道)を皮切りに、現在、へき地病院は全国8病院に広がっている。

94年にはグループ初の介護施設、介護老人保健施設おきなわ徳洲苑を沖縄県にオープン。同年、鹿児島県に南谷山訪問看護ステーション、97年には、沖縄県に障がい者支援施設のれいめいの里と石水の里を開所した。さらにケアハウス、特別養護老人ホーム、グループホームなど全国に次々と展開し、高齢化する地域社会の要請に応えている。

新しい医療技術の導入にも余念がない。96年には湘南鎌倉病院(神奈川県、現・湘南鎌倉総合病院)で日本初のバチスタ手術(左心室縮小形成術)を実施。これは拡張型心筋症に対し、心臓移植に代わる治療法で、拡張した心臓の左心室の約3分の1を切り取り心臓の形を整えるというもの。15例の臨床研究を行い、98年には保険適用された。

自治体病院を運営

徳之島病院竣工式で喜びに沸く島民と握手を交わす徳田・前理事長(前列左) 徳之島病院竣工式で喜びに沸く島民と握手を交わす徳田・前理事長(前列左)

徳洲会グループは地域医療に貢献するため、2000年代に入ってからも病院の新規開設を積極的に推進。2000年に6病院、05年に5病院を新規開設した。また、自治体病院の管理運営を行う指定管理者として、10年から榛原総合病院(静岡県)、14年から和泉市立病院(大阪府)、15年から生駒市立病院(奈良県)の3病院を公設民営方式で運営。徳洲会が培ってきた民間のノウハウを生かし、医療サービスの向上などに努めている。

医療・介護・福祉施設以外にも、10年に仙台市から看護専門学校を承継し、仙台徳洲看護専門学校を開設。看護学生の教育活動にも乗り出した。17年には念願の医療大学設立に向け準備室が発足、20年の開学を目指す。

創設以来、救急医療に注力してきた徳洲会グループでは、従来、主に公立病院や大学病院が担ってきた救命救急センターの指定を受ける病院も出てきた。12年に宇治病院、岸和田病院、13年に湘南鎌倉病院が指定。さらに民間病院の事例が少ない地域災害拠点病院にも、これら3病院と白根徳洲会病院(山梨県)、福岡病院の5病院が指定を受けた。同拠点病院は災害発生時、傷病者の受け入れや搬出、災害医療チームの派遣や受け入れなど災害医療活動の中心的な役割を担う。

グループ初の介護施設、老健おきなわ徳洲苑の開所式にて グループ初の介護施設、老健おきなわ徳洲苑の開所式にて

救急・急性期から回復期、慢性期、在宅など多様な医療に取り組むなかで、疾病構造の変化にも積極的に対応し、がん医療にもグループを挙げて取り組んできた。その中心が、04年にスタートした徳洲会オンコロジー(腫瘍学)プロジェクトだ。

これは、患者さんが全国の徳洲会病院のいずれを受診したとしても、エビデンス(科学的根拠)に基づき安全性が確立された標準治療を受けられるようにするための取り組み。具体的には徳洲会統一レジメン(治療計画)による標準治療の確立、がんワクチン・抗がん剤治験、共同臨床研究への参画、多職種で患者さんの治療方針を協議するキャンサーボードの整備などを柱とし、関連部会を立ち上げ、がん診療の強化・レベルアップに努めている。

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