徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

久志 安範(くしやすのり)(与論徳洲会病院院長)

直言 生命いのちだけは平等だ~

久志 安範(くしやすのり)

与論徳洲会病院院長

2016年(平成28年)7月18日 月曜日 徳洲新聞 NO.1040

島唯一の病院としてプライマリケアを
中心に展開し島内で医療完結を目指す
“自宅で最期”の習慣を絶やさないよう努力

与論島は沖縄本島から北へ23㎞の所にある周囲約24㎞の小さな島で人口は約5400人、高齢化率は約31%です。15年にわたる病院誘致活動の結果、当院は1996年1月に81床で開院。今年、創立20周年を迎えました。

私は1983年、徳島大学医学部を卒業し、沖縄県の南部徳洲会病院に入職。大学に残ることは考えませんでした。プライマリケア(総合医療)が学べて全科ローテーションが可能と知り南部病院を選択したのです。

南部病院での16年間は救急医、外科医として多忙な毎日で、この間、海上保安庁や自衛隊の救急搬送用ヘリ、徳洲会が運用する軽飛行機「徳洲号」に添乗し約50回、患者さんを離島から沖縄本島の病院に搬送しました。

当院が開院したことでヘリ搬送が大きく減少

当時の上司である南部病院の故・金城浩(きんじょうひろし)院長から「与論島で2、3年やってこい」と言われ、当院の院長に赴任して早や18年。離島の院長のなかでは、在任最長記録を更新中です。

当初、常勤医は私ひとりだけで、応援の医師と研修医の計3人体制でした。現在、常勤医は外科の私ひとりで、2週間から2カ月の間隔で入れ替わる研修医が3、4人います。月に1、2回の特別診療担当の先生方も、関東、関西、沖縄から定期的に応援に来られ、島の人たちに感謝されています。

与論島の病院は当院のみです。救急患者さんはほとんどが当院に搬送され、受け入れを拒否したことは一度もありません。救急処置、緊急手術にも対応し、対応できない心臓大血管、中枢神経などの疾患のケースはドクターヘリや自衛隊ヘリで搬送しますが、当院開院後にはヘリ搬送の件数が激減しました。

島外の医療機関で治療を受けると、交通費や宿泊費、食事代など、お金も時間も手間もかかります。人工呼吸器を使用する重篤な肺炎も島内で治療可能なら患者さんはとても助かります。島内で医療が完結するように、プライマリケアを中心として、日頃から予防医療まで見据えた医療を展開することが重要です。

2012年10月、64列CT(コンピュータ断層撮影装置)を導入し心臓冠動脈撮影を開始。同年11月にPACS(パックス)(医用画像保管電送システム)も整備、13年9月には待望の電子カルテを導入しました。MRI(磁気共鳴画像診断装置)は更新を図り、新たに3.0テスラの装置が9月頃に稼働予定です。私が徳田虎雄・前理事長に約束した都市部に負けない医療をするためのハードが少しずつそろってきています。しかし、大事なことは、島にひとつしかない病院である当院を、大切に思ってくれる島の人たちの存在です。

都市部と同程度の離島医療提供が徳洲会の哲学実践に

当院の電子カルテには患者さんの顔写真が載っています。患者さんの取り違えによる薬や処置の間違いを防ぐ良い方法ですし、蓄積した情報の共有は医療レベルを上げる素晴らしい手段だと思っています。

応援で来られている小児科医の辰巳憲(たつみけん)先生が最近、「霊安室のない病院」というテーマで朝日新聞に投稿し当院を紹介してくれました。与論島には、亡くなる時は自宅でという習慣があります。島での在宅死の割合は7割。都市部では最期は自宅でと思ってもなかなか実現できません。島の人たちは家族に見守られながら畳の上で最期を迎えないと魂が成仏できないと信じています。亡くなる前の自宅搬送は病院としては大変な仕事で、医師も同行します。家に帰ると患者さんも、迎える家族の方も表情が穏やかになります。この貴重な習慣を絶やさないように努力していきたいと思います。

離島ならではの不便さもありますが、それでも医療は都市部の人たちと同じようなサービスを受けてしかるべきです。それが徳洲会の「生命だけは平等だ」の哲学につながります。私はいつも直言で、公共機関や学校が実施しているローテーションによる離島・へき地への職員派遣を、徳洲会は医師も含め実施すべきだと提案してきました。

そのひとつの試みとして南部病院の協力により14年2月から、月に3日ほどの交換研修を続けています。この交換研修が広まり、徳洲会全体で展開できれば、私の提案は実現に向けて一歩足を踏み出すことになります。世の中はどんどん変化し、医療界も変わらなければなりません。それ以上に、徳洲会も変革が求められていると思います。皆で頑張りましょう。

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