徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

直言

Chokugen

藤田 安彦(ふじたやすひこ)(徳之島徳洲会病院院長)

直言 生命いのちだけは平等だ~

藤田 安彦(ふじたやすひこ)

徳之島徳洲会病院院長

2015年(平成27年)10月12日 月曜日 徳洲新聞 NO.1001

離島・へき地医療や断らない救急
国内外の医療過疎地への医療提供
社会貢献こそ徳洲会が存続できている理由

今夏、指宿(いぶすき)(鹿児島県)を旅行した際に知覧(ちらん)特攻平和会館を訪れました。同会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦に特攻という人類史上、類のない作戦で、爆装(ばくそう)した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。特攻出撃前、10~20歳代の若者たちが、親・兄弟、子ども、恋人などに宛てて〝遺書〟を書き残していました。

日本復帰後の徳之島に生まれ、戦争を体験していない私は、その手記の存在について詳しく知りませんでした。今回、手記を見て感じたことは、家族や母親、日本への愛情が込められており、平和な祖国の繁栄を望んでいるということでした。館内を見学しているうちに、零(こぼ)れ落ちる涙を抑えることができなくなりました。周囲の人たちを見渡しても、同様に涙していました。必ず死に行く極限状態のなかで書かれたものでありながら、どうしてこうまでも純粋な気持ちでいられるのでしょうか。自分よりも家族や恋人、祖国を愛する気持ちが強く、感謝の気持ちと将来の日本の繁栄を願う文章であり、非常に心を打たれました。

世界中に衝撃を与えた写真が難民拒絶の各国首脳を変えた

近頃の新聞やテレビは肉親間の争いや殺傷事件、世界の至る所で起きている悲惨な紛争を毎日のように報じています。最近ではシリア難民が400万人にふくれ上がり、トルコの海岸に打ち上げられた3歳児の遺体の画像が世界中に衝撃をもたらしました。各国で激しい怒りをともなう世論が巻き起こり、難民を拒絶していた先進国首脳も世論に押され判断を覆(くつがえ)したのです。

亡くなったのは、内戦で混乱するシリアから家族と逃れてきたアイランという名前の男の子でした。シリアの首都ダマスカスで、親子4人は裕福に暮らしていたそうです。内戦のため、両親と一緒に避難したものの、ボートが転覆。お父さんは必死に助けようとしましたが、かないませんでした。アイランちゃんの旅は、ひとまず欧州の避難所で終わるはずが、命を落とし、最悪の難民危機に巻き込まれたシリア人の窮状を世界に印象付け、改めて人命の尊さを私たちに考えさせてくれました。

当院継続はグループからの支援地域の方々や職員の努力の賜物

9月度の徳洲会医療経営戦略セミナーで京都府立医科大学救急医療学教室の太田凡(ぼん)教授が講演。太田教授は湘南鎌倉総合病院に勤務時、断らない救急医療と各診療科が互いに協力し、すべての救急疾患を診るシステムを構築されました。大学病院ではなかなかできないことで、徳洲会の医療文化は大変素晴らしいと話されました。

徳洲会は離島・へき地や職員が不足している病院に対し、グループを挙げ積極的に支援します。また8時会や朝礼、医局会などを開き、自院の情報を共有する試みは大学病院、市中病院では見られない光景です。私は島根医科大学附属病院(現・島根大学医学部附属病院)、横須賀共済病院、東京西徳洲会病院などに勤務。以降、徳洲会の理念である「生命を安心して預けられる病院」などを毎朝唱和。朝礼では経済から文学まで幅広く本を紹介し、社会貢献と徳洲会としての責任・義務を常に果たす気持ちが必要だと力説し続けています。

来年、当院は開院30 周年を迎えます。これまで病院の運営が継続できたのは、徳洲会グループやグループ外からの医師、看護師、コメディカル、事務職員などの応援と、地元の支援、職員の絶え間ない努力の賜物。看護師や医師の頑張りはもちろんのこと、毎日、患者さんのおむつ交換や食事、入浴介助などを業務としている職員の姿勢にも敬服しています。当院を支援してくださるすべての方に、改めて深く感謝する次第です。いつもありがとうございます。

徳之島の将来については、当院の新築移転はもとより、看護学校設立、高齢者施設や外国人向けの健診センター、リゾートホテルなどが一体となった複合施設をつくることがかねてからの私の夢です。雇用を増やすことで、若い人たちが島から出ずに生活できる環境をつくりたいと思います。夢ですが、夢をもつことは自由ですから、皆に訴えていきたいのです。

徳洲会が存続できているのは、離島・へき地医療や断らない救急、国内外の医療過疎地域への医療提供など社会貢献を行っているからだと職員の皆さんも思っているはずです。

皆で頑張りましょう。

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