| 徳洲新聞2006年(平成18年)5/29 月曜日 NO.520 |
| 徳田看護学校開校記念式典 タイ・アジア学院大学65名が新入学 |
タイのコーンケーン市のアジア学院大学に、5月12日「徳田看護学校」が開校した。これは徳田虎雄・徳洲会理事長のT生命だけは平等だUの理念を受けたもので、記念式典には理事長代理として徳田秀子理事が出席した。
アジア学院大学の創設者、 クラッセ・チャナウォンセ同大学理事長は、タイの文部大臣、外務大臣などを歴任。マグサイサイ賞の受賞者としても、広く知られている。また過去に、同国の医師らと医療視察団のメンバーとして3度にわたり日本を訪問している。徳田虎雄理事長とも面談を行い、徳洲会のT生命だけは平等だUの理念に共感。それが今回の徳田看護学校の開校に結び付いた。
クラッセ理事長は昨年4月末、タイの厚生次官らとともに来日し、神奈川の湘南鎌倉総合病院や葉山ハートセンターなどを視察した。徳洲会の患者さん中心の医療を目の当たりにし、「いつでも、どこでも、誰でもが良い医療を受けられる」病院づくりに励む徳田理事長の姿勢にあらためて感動。徳洲会の理念を実践し人材を育てるには、まず看護学校が必要だと思い至ったという。そして徳田理事長に直接訴えて、翌月28日には徳田看護学校開設の覚書を両者の間で交わした。
開校式の5月12日はT国際看護師の日U。徳田理事長の提案で、この日が選ばれた。
将来は理念実践の医学部設立も
コーンケーンは、 バンコク、チェンマイに並ぶタイの3大都市の一つで、コーンケーン大学など優れた医学部を有する学校が少なくない。それらの大学の医学部や看護協会が全面的に協力、徳田看護学校の講師に就任している。
看護学校では看護学学士養成カリキュラムを基に、4年制・全日制で授業が行われる。定員は65名。式典に出席した平榮光・徳洲会顧問によると、応募者が多く当初の60名から65名に変更されたそうだ。
「60名の定員に対し250名以上の応募があり、40名に絞り込みました。そして2次募集を行ったところ240名の応募があり25名を厳選。将来有望な人材が集まりました」
式典開会に先立ち両国国歌が流れ、厳粛な雰囲気の中で徳田秀子理事がスピーチ。
「徳田理事長は10歳の時に、医者に診てもらえずに3歳の弟を亡くしたことから、医者になってどんなに貧しい人でも、夜中でも診る病院をつくることを決意。33歳の時には病院を建てる資金がなく、自分の生命保険を担保にして銀行から融資を受け、最初の徳田病院をつくることができました。その後もT生命だけは平等だUの理念で、全国の困っている人や弱い人のために病院やクリニック、福祉施設をつくり続け、現在では63の病院と総計で270近い施設を持つに至りました。命懸けで医療と福祉に取り組んでいる理事長の理念にクラッセ先生が賛同されT徳田看護学校Uが誕生することになり、理事長も喜んでおります」
静かに話を聞いていた入学生から、スピーチ中に3回も歓声が湧いたと平顧問。まず「今年、ブルガリアに徳洲会ソフィア病院が開院するが、徳田看護学校が海外進出の第1号」であること。そして「日本語と日本文化、徳洲会の理念を身に付け、日本に来ていただきたい」との激励。さらに「海外200カ国に病院をつくる計画があり、それらが皆さんの職場になる可能性がある」という話は、学生たちに夢と希望を抱かせた。
次いで挨拶に立ったクラッセ理事長は、学校設立までの経緯を語った。徳洲会と縁の深いバンコク病院グループのソムアッツ副総裁夫人で、キリスト教大学学長のチャンジラさんは、高等看護教育の目指す方向と求められる看護師像についてスピーチを行った。
最後に大講堂正面に掲げられた「徳田看護学校(Tokuda Nursing School)」の除幕式が執り行われ、出席者全員から歓声が湧き起こった。
今後、ラオスやカンボジア、ベトナム、ミャンマーなど近隣諸国からも看護学生を募る方向で検討していくと、クラッセ理事長は言う。また、医科大学などと連携し、徳洲会の理念実践が図れる学部・学科の開設も構想の中にあり、タイ政府も全面的にバックアップする方針だ。
|
直言 組織も個人も常に自己改革とイノベーションを続けよう 〜自己修錬し、常識と現状を超える勇気と挑戦心を持とう〜 |
今から約20年前に、 徳田虎雄理事長と初めてお目に掛かりました。その時の印象は今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
確か理事長は、鹿児島の新聞各社の記者さんと懇談されていました。食事の仕方は豪快で、全く飾り気がなく、率直な方だなと感じました。翌日、当時の遅塚令二院長、大山満元院長はじめ医局の先生方と天文館で懇親を深め、即鹿児島徳洲会病院に入職となりました。
鹿児島での生活や仕事、経験は目まぐるしいの一言でした。最初は仕事が忙しく、周囲を見る余裕もありませんでしたが徐々に慣れ、泌尿器科医として腎移植などの成果を学会で発表しようと大学に問い合わせると、今回は見合わせてくれとの返事。唖然とするやら腹が立つやらで、自分の性格では喧嘩になると、遅塚院長に仲介を頼んだところ、逆に院長と当時の教授が喧嘩になるという始末でした。そうした経緯で当時の日本泌尿器科学会理事長の阿曽佳郎東大教授と出会う機会を得、米国メイヨークリニックでの手術見学の際に便宜を図って頂きました。
当時の私は全くの医療バカで、政治や経済、法律、宗教、社会システム等にはズブの素人でした。
その頃の奄美群島区の理事長の選挙は名うての田中軍団の保岡代議士が相手で、正に熾烈な戦いが繰り広げられていました。
誰もが理事長は無謀な戦いを仕掛けていると考えたと思います。しかし3度の挑戦で勝利し、選挙区の改変の中で、機を見るに敏な保岡代議士は鹿児島一区に転出し、結果的に二人共国政に参加する事になったのです。理事長の“思い”は天にも通じるという事です。そうした選挙を通じて、私も必然的に政治に興味を持つようになりました。
世界の国々を見渡しても、政治的に安定していない国では、医療及び最低限の生活すら保障されていません。先進国においても“患者の為の医療”を本当に実践している国は殆どありません。医師や医療従事者の為の医療、医療産業の為の医療、保険会社の為の医療、安い医療システムを維持する為の医療といった具合です。
特定の団体の利益だけを考える政治体制が国を蝕んでいます。政治を国民の手に取り戻すには、所謂族議員を作らず、政官業癒着のない真に国民の生命と暮らしを守る政治体制を作ることが大切です。国民にとって、政治経済ほど生活に影響が大きい分野はありません。
逆境に立ち向かい誇りを持って乗り越えていこう
皆さんも、 知能指数(IQ)についてはよくご存知でしょう。最近情動指数(EQ)を高める必要性が説かれています。これは、サービス業の人、特に医療従事者の場合、非常に重要になってきます。何かを成し遂げようとする場合、逆境指数(AQ)を高めていないと、例えIQが高くともうまくいかないそうです。理事長の場合、AQが測定不能なほど高いのです。どん底から不死鳥の如く復活する場面を、幾度となく目の当たりにしてきました。また年を重ねる度にEQも上昇しています。
私は一時徳洲会を離れて約3年間、ある私立病院で働いた事があります。地方の非常に一般的な病院で、殆どの決定権は病院長あるいは大学教授にあり、医師や病院職員が自主的に仕事を進めていく余地の狭い環境でした。その点、徳洲会は徳田理事長の理念・哲学がはっきりしているので、誰でも職員は責任を持って自主的に行動しさえすれば、誰からも非難を受ける事はありません。非常に自由度の高い組織なのです。
徳洲会グループに復職する際、私は少し弱気になっていました。徳田理事長に「日本の社会風土の中では、本当の事を言うと袋叩きに遭います。やはり、見て見ぬ振りをするほうが賢明なんでしょうか」と質問しました。すると理事長は即座に「違う!!“弱きを助け悪しきをくじく”を基準にして真実一路で徹底して行動すべきだ」と言われました。この時のひと言は、私の人生の中で何物にも勝る宝となりました。
徳洲会の“患者中心の医療”を世界中に広げよう
この頃特に思う事は、 個人も組織も常識や現状を踏み越える事は非常に大切だが、なかなか難しい面があるという事です。どの分野においても、超一流と言われる人や組織は、常識の壁を越えています。しかし半面、常識的な人々から理解を得る事は非常に難しいのです。理事長は常に常識を超えた発言をされていましたが、いつも限界に挑戦し、孤独の中におられたと推察しています。
これからの厳しい環境の中では、医療界も組織のAQを高めて行く事が求められます。現状に甘える人が多くなると、改革・改善運動は困難になります。鹿児島徳洲会病院は平成16年12月、日本医療機能評価機構の認定を受けました。これは主に病院のハード面の充実度を表します。現在私たちはISO(国際標準化機構)によるISO9001の取得に向けて活動を開始。これは主に、ソフト面の充実に焦点を当てています。今までは徳田理事長の率先垂範と号令で、徳洲会の変革が行われていましたが、ここまで組織が大きくなると職員自らの変革、イノベーション(新機軸)の方向性がなければ、“大企業病”に陥ってしまいます。私たちはISOをテコにして、積極的に現状改革運動を推進し、逆境を乗り越えて、患者様から選ばれ、誇りを持って働ける病院作りをしていきます。
今、世界中の途上国が医療を必要としています。特にサハラ以南のアフリカ諸国の医療情勢は想像を絶しています。人口の48%が1日1ドル以下で生活し、32%は栄養失調状態であり、平均寿命は46・3歳。子供たちの40%は小学校教育も受けられず、全世界のエイズ死亡者の3分の2、マラリアによる死亡者の90%を占めているのが現状です。
徳洲会は、今年8月のブルガリアでの病院開設をはじめ、世界67カ国、1014名の方々と医療交流を深めてきました。
今後も国際医療協力の裾野は益々広がっていくと予想され、特に途上国において患者中心の医療を定着できたら最高です。外国でも“生命だけは平等だ”の徳洲会の理念に賛同する人々の輪を広げていけると信じています。
皆で頑張りましょう。
|
| 病院だより |
プロレスで得た募金を寄付 松原徳洲会病院
1999年に 栗栖ジムというプロレスラー養成ジム兼団体から独立した私は、大阪府羽曳野市を中心に活動するボランティア&チャリティープロレス団体「ジャパンプロレス2000」を立ち上げました。
当団体に所属する選手たちは『プロレスラー選手名鑑』に名前が掲載されていますが、社会人や学生で、プロレスで生計を立てているわけではありません。選手から会費を募り、3カ月に1度の割合で開催する試合は、入場無料です。
会場に募金箱を設置し、集まった募金はこれまでに羽曳野市の社会福祉協議会や児童養護施設に、また災害支援金として、総額60万円以上を寄付してきました。
今年で7年目を迎えた当団体は、地域の皆さんやさまざまな協力者の方に支えられていると実感しています。当初100人以下だった観客動員数も現在、小さいお子さんから年配の方まで300人を超えるほど。メジャー団体の全日本プロレスのリングに上がらせていただいたこともあります。
羽曳野市は当院のある松原市に隣接しているということもあってか、市民の皆さんは当院主催の医療講演や市民ドックにも協力してくださるようになりました。
病院の業務とプロレス興行、二足のワラジを履くことは大変です。しかし自分の夢を叶えながら社会貢献できる現在の生活は、とても充実していると感じています。(地域連携室 守屋博昭)
|